勤めていないと、お金がない代わりに時間がある。
お金がない不安がとてつもない恐怖になって、余計なことをあれこれ考えてしまう。
50代主婦ひとり、どうあがいたって都合の悪い社会を変えることはできない。
でもわたし一人ぐらい、どうにかうまく切り抜ける方法はないものか、自己中心的な戦略を考えない日はない。
するとね、当然家族もうまくいったほうが自分的には都合がいいってことになる。
次は自分や家族に関わる周辺の人もね、当然困ったことになるよりは、順調に越したことがないわけで、と芋ずる式に関係者が出てくる。
あれ、これじゃやっぱり、みんないっしょにうまくいかないといけないじゃない。
貧困は努力が足りないから?
何を甘いことを。世の中は競争社会。勝たねば意味がない。勝つために能力やスキルを磨いて努力しているのだ。そんなふうにわたしも信じてた。
勝者だったら、きっと今もそう思い込んでがんばってると思う。
だけどね、オットの収入が伸び悩んでるからって、それがオットの努力が足りないからとは思えない。
発達障害の子どもは、健康保険や厚生年金加入条件を満たすだけの労働時間、どうしても働くのが難しい。精一杯がんばって働いても一人前とみなされない。
勝つとは、ほかの人よりお金を儲けることだとしたら、お金は結局誰かから頂くものだし、どう考えても、みんないっしょにうまくいくってことはあり得ないわけで、お金儲けと割り切った努力ができる人とそうでない人、あとは運で勝負が決まる。
ただの努力ではない。振り切ったように割り切るその努力は、みな同じ機械のように人を動かす。
お金儲けと割り切る努力を生き物らしく怠ったわたしは、「儲けたいけど儲けたくない」矛盾の渦にぐるぐる呑まれて転落中。
資本主義と民主主義は別もの
資本主義と民主主義を混同していた。
自由な競争から民主主義が生まれてくるぐらいに思っていたかもしれない。
資本主義は、民主制ゼロの政治でもどんどん成長している事実を目の当たりにして、最近ようやく資本主義と民主主義は別ものだったと気がついた。
ヤニス・バルファキスは、その資本主義が民主主義を食い尽くす勢い、とその危機感を述べている。
50代主婦のわたしができることといえば、お金社会どっぷりにならないよう小さな暮らしに努め、多数派の意見を議論で修正していく、はかなくも頼りない民主主義を支持するだけ。
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