DATAよりGIVE、暮らしと向き合うために大事なこと

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データ的な根拠がないことは疑ったほうがいいなんていうけれど、データ自体が古いとか、実情に合ってないとか、そもそも間違ってることも少なくない。

年金に登場する世帯モデルや世帯貯蓄の平均額とかは、正直うちの暮らしにはまったく参考にならない。とはいえ、いちいち不安になるから困る。

暮らし=お金+社交

「暮らしはお金だけでは成立しない」と格好よく言いたいとこだけど、お金があれば、何とかなることも多いのはほんと。

でも、収入や資産を増やすのも、節約するのにも限界がある。

その限界を知って、あとはどんなふうに暮らしを立てていくかを考えるしかない。

お金の代わりとして、一番頼りになるのが人だということを見逃している人は案外多い。お金を持たなくても、愛されキャラの人は強い。大富豪より強いかもしれない。お金を持っていなくても、人望だけでお金や人を集めてしまう人は最強だ。

といっても、人は何かとめんどくさい。「すべてお金で解決したほうがスマートでかんたん」とできたのが資本社会なんだと思う。

だけど、アドラーも「すべての悩みは対人関係にある」と述べているように、お金の問題も突き詰めれば対人関係。人の暮らしには、お金も人づきあいも、両方欠かせないのだ。

お金と人づきあいは、量より釣り合いの問題。

お金がない分、人づきあいに励んでもいいし、無理な人づきあいをしない分、支出削減してサービスを購入するために稼ぐ、という道を選んでもいいわけで、方法は一つでないことを知っていると心強い。

とはいえ、ないものはないし、できないことはできない。

けど、自分は何を持ってて、何が無理なのか、意外とわかっていないもの。ことあるごとに「無理しないでできること」を模索することが大事な気がする。

「あれもできない、これも駄目」ってなってくると、「どうせ何もできない」になって、いつの間にかまったく考えなくなる。知らないだけで、ほかにいくつも方法があるかもしれないというのにだ。

途中、思考停止の時期があったとしても、また何回も復活して、「無理しないでできること」をしつこくねばって探す価値はある。世の中も自分も変わり続けているからだ。

何もしないでいるのが一番もったいない。

giveから始まる

人は何かを手に入れたいと思ったら、人からgive(贈与)されるしかなく、そのためには、まず自分がgiveしないと始まらないという。

そのことがよくわかるのがしょぼてんさんのいう「正しいやりがい搾取」というもの。

こちら側が何も頼んでいないのに、人が自由意思で何かをしてくれる。これが「正しいやりがい搾取(第1段階)」

たしかに人に頼んだが、その人はそれをやることが好き(やってあげたい)なので、無料(あるいは格安)で動いてくれる」これが「正しいやりがい搾取(第2段階)」

『しょぼい起業で生きていく』より

正しいやりがい搾取ができるのは、それ以前に、好意的に協力してもらえるようなgiveをしているからに他ならない。「情けは人の為ならず」にも似ている。

自分にできることは、まず人にgiveするところから始める。挨拶でも草抜きでも何でもいい。そこから始まる。こういうことは、損得勘定が優先される資本社会ではほとんど見聞きしなくなってて、忘れている人も多いように思う。

でも、「自分にできることは、まず人にしてあげる」ということなら、自分にも何かしら、できることがありそうだと思いませんか?

お金だけが報酬ではない、という意識も忘れないでいたい。

データには、こういうことは現れない。

だから、データ見てくよくよしてないで、元気出して暮らそうと思う。

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