コロナ後の暮らしはこれまでの暮らしと違う

coronago kurashi

パンデミックは文明を変えてきたらしい。

コロナが収束すれば、またいつもの日常がかえってくる。ついこの間までそう信じ、ひたすら収束を祈っていた人も、今では来年のオリンピック開催を疑う人まで出てきている。

数週間前まで何ごともなかった暮らしはコロナで一変した。

もう元には戻らないかもしれない。

非常時は重大な選択を短時間で迫られる。

日本は経済と健康の狭間で悩んでいる。

コロナの感染を抑えるには、人の移動を止めるのが一番だ。しかし、これをやり過ぎれば、たとえコロナは収束しても、経済的な打撃で命を落とす人が出るかもしれない。

ようやく非常事態宣言が出されるようだが、日本の緩い対策に、もっと人を監視したほうがいいとか、罰則を厳しくしたほうがいいという人もいる。

ある日の投書欄、感染者の行動を詳しく報道することを懸念する意見のすぐ下に、感染者の行動地域を教えてほしいのに教えてもらえなかったという不満の声が寄せられていた。

サピエンス全史』『ホモデウス』の著者であるイスラエルの歴史学者ハラル氏は、日経の寄稿でこんなふうに述べている。

私たちのプライバシー保護を巡る問題は近年、大論争を巻き起こしている。新型コロナ危機は、この論争に転換点をもたらすかもしれない。というのも、人はプライバシーと健康のどちらが重要かと問われれば普通は健康を選ぶだろうからだ。

だが、市民にプライバシーの保護と健康のどちらか1つを選ぶよう求めることは実は、この問題の本質を浮き彫りにしている。というのも、こんな選択を迫ること自体が間違っているからだ。私たちは自分のプライバシーを守ると同時に健康も維持できるし、そうすべきだ。コロナ後の世界に警告より

危機は権力に利用されやすい。

「危機は権力に利用されやすい。」坂本龍一氏が忌野清志郎氏が言っていたこととして述べている。

コロナウイルスのパンデミック以前から、日本(世界)は太平洋戦争前に似てきていると心配する声をあちこちで耳にする。

不安な世の中で生きていると、リーダーシップのある英雄にすべてを依存したくなる気持ちもわからないではない。自分で考え、多種多様な意見と向き合い、折り合っていくことなど不可能に思えるからだ。とくに緊急時はやっていられない。

ルール違反には罰則を設けて、言うことをきかせれば手っ取り早い。そのためには多少の個人情報を国に委ねるのもやむを得ない、というように流れていく。

案外こんなふうに喜んで、自ら個人の自由を放棄し、利用されてしまうものなのかもしれない。

個人番号カードの普及が進まない日本も、コロナ危機の経済政策として、迅速な給付や補助がかなうとなれば、いっぺんに普及するかもしれない。こうした便利なサービスから始まり、やがて独裁政権にそっくり譲渡なんてことになるのかもしれない。

この数年、無責任な政治家たちが意図的に科学や様々な行政、メディアへの信頼を損ねてきた。今、まさにこの無責任な政治家たちが、市民が正しい行動を取れるとは思えないから国を守るには必要だとして独裁主義的な道へ堂々と進もうとするかもしれない。

通常、長年の間に失われた信頼を一夜にして取り戻すことなどできない。しかし、今は正常時ではない。危機に直面すると、人々の気持ちもあっという間に変わり得る。何年も兄弟や姉妹と仲たがいしていても、緊急事態になれば自分の中に相手への信頼や親しみが残っていることに突然気づいて助け合ったりするものだ。

監視体制を築く代わりに、科学や行政、メディアに対する人々の信頼を再構築するのは今からでも遅くはない。その際、様々な新しい技術も積極的に活用すべきだ。ただし、市民がもっと自分で判断を下し、より力を発揮できるようにする目的で新技術を利用すべきだ。

「身内と協力」だけでは生き残れない

仲のいい人や気が合う人、趣味の合う人としか協力できない、なんてのは時代遅れになるかもしれない。

SNSは気軽にあらゆる人と通信できる道具だが、共感し合える仲間の結束を強くする一方、仲間以外の者を必要以上に攻撃したり排除する道具として利用されることがある。

頻繁にデマ被害も報告されていて、安易に信頼できない現状は残念である。

個人がごく一部の権力者に利用されることなく生き残る道は、ひとりひとりの協力しかない。

反対意見でも、利害関係があっても、共感できなくても、どんな者も信頼し合い、折り合っていくしか生き残る方法はない。

データやテクノロジーをうまく利用すれば、以前ほど協力するのも困難ではなくなってくるかもしれない。

コロナ後は、少なくとも意識は以前と変わっていると思う。パンデミックになるかもしれない。今後はそんな考えが浮かぶようになるだろう。命や住処が奪われるような地震が起こりうると考えるようになったのも、阪神大震災に被災してからだった。

終わらないパンデミックはない。平常の暮らしに戻るまで、考えて行動する自由を自ら手離すことなく、悪口は(思っても)言わないようにして、支出を抑え、節約しつつ、できることを考えて持ちこたえたいと思う。

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