車のハンドルには遊びがないと危険、という話に感心したことがある。ハンドルを右に回せば車は右方向に動くようになっているのだが、ハンドルには、動かしても変わらない遊び部分があるのだ。ハンドルの感度が良過ぎると、わずかな動きで車の向きが変わることになる。そんなことになれば、車はふらふらして安全走行できない。
その話を知ってから、境目が気になるようになった。
都合で作られる境目
わたしの子は、中学生のときに発達障害と診断された。しかし、当時は今のように発達障害が広く知られておらず、家族も本人もにわかには受け入れられなかった。非常にわかりにくいものだったからだ。でもそのときから子どもは発達障害になったのだった。
どこからが障害でどこまでが健常なのか? ずいぶん悩んだものだ。
法律やルールでは、はっきりとした基準が決められてしまうので、境目付近は無理やりどちらかに振り分けられてしまう。そうすると、わずかに条件を満たさないために、不利益を被るような場合が生じてしまう。とはいえ、どこかで線引きしないことにはキリがない。
しかし境目というのは、ある日突然、チョークで地面に線を引くようなもの。「線からこっちが右でそっちが左ね。」という具合に境目が突如現れるのだ。
でも、ほんとは境目などどこにもない。境目は都合で作られる。
境目はあいまいに
一時期、家電で「ファジィ」という言葉がもてはやされた。人間の感覚に近い微妙であいまいなコントロールができる機能をさしていたのだが、この頃は、ほとんど言われなくなった。今は、より細かな数値が表示できるもののほうが人気みたいだ。
体重はもちろん、血圧、血糖値、心拍数まで、数値を気にするようになっている。
そういえば最近、PCR検査の基準から「37度5分以上の熱が4日以上続く」という条件が外されたことが話題になった。37度3分くらいでつらかった人は、さぞたいへんだったろう。問い合わせるのを遠慮して我慢した方も少なくなかったと聞く。断らざるを得なかった窓口の方の気苦労はいかばかりか。
境目は融通が利くあいまいなものととらえたい。
ルールや基準に従うことも大事だが、境目は都合上作られたものに過ぎない。境目を厳格にすると、遊びのないハンドルのように、かえって危険で不自由な場合があることを心に留めておきたい。
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