便利な暮らしをあたりまえのようにしていると、今あるものや手持ちのものでどうにかする、ということができなくなるようだ。
上げ膳据え膳の生活からいきなり結婚したわたしは、恥ずかしながら、あり合わせで料理をつくるということが長い間できなかった。レシピどおりの材料が一つでも揃わないと、本気でその料理はできないと思ったものだ。
そんな調子だから料理に限らず「あれがない、これがない、だからできない」と思うことも多かったし、今あるものを失うことは、恐ろしくて考えたくもなかった。
阪神大震災に被災して、あるのがあたりまえだと思っているものも、なくなってしまうことがほんとにあることを知った。
それからも大災害は頻発するし、世の中は変わり続けている。
今こそ「あり合わせ」でどうにかするスキルを磨いたほうがよさそうだ。
ほんとに昔はよかったのか?
この年になると、自分の若かった頃や子どもの頃を振り返って、「あの頃はよかったなぁ」なんて思うけど、ほんとにそうだったのか?
考えてみれば、いつの時代も問題がなかったことなんてなかった。
でも、ヒトは悪いことを想定して備えるのは大の苦手だ。そのくせ都合のいい妄想には取りつかれやすい。だからすぐ調子に乗って失敗する。
だいたいは決められた道を歩くのが安心して好きなんだけど、ときどきは新鮮な空気も吸いたいし、たまにどきどきするような刺激も欲しいと思うのが人情。
だけど世界は思うようには動かないし、ひとときもジッとしていることがない。
変化についていけなくなったとき、よく知ってる昔が恋しくなるのかもしれない。
「あり合わせ」のスキルは今あるものを大切にすること
先日亡くなった野村監督は、戦力外になった選手の新しい役割を見い出すことや、埋もれていた選手の力を導き出す手腕に優れていたという。こうした野村さんの手腕を、すぐれた「あり合わせのスキル」と評する人がいた。(「あり合わせ」で強さ導く 岡田美智男 朝日新聞より)
ちょうどいいものやすぐれたものがなければ買えばいい。「いつでも買える」それがあたりまえになり過ぎたのか。どこに行っても手に入らない事態になると、どうしようもなく不安でパニックになる。
都合のいいすぐれたものがちょうどあるほうがたまたまのラッキーだったと気づかない。便利な世の中に慣れ過ぎるのも考えものである。
世界は「帯に短したすきに長し」が集まってできている。
今あるものを大切にするということは、こうしたあり合わせの世界をどんなふうに組み合わせれば間に合うものにできるかを考えることなのだ。
あり合わせの材料で食事の支度をし、あり合わせの洋服で身支度を整え、身近なあり合わせの人たちと協力する。変わり続ける世界の中で、これほど強力なスキルはない。
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