本やテレビで見たミニマリストのように、すっきり何もない整然としたおうちにあこがれて、せっせと片づけを始めたのだけれど、片づけはいっこうに終わらない。
そう、片づけは終わるものじゃなかったんです。
生きてる限り片づけは終わらない
本気でモノを減らそうとがんばっていた頃、今思うとたいへんでした。
早く片づけたいのに思うように進まない。
病気になったとき、年取って動けなくなったとき、死んだとき、誰も困らないようにきれいに片づけておきたい。それはもうなんか切実に思ってました。
どこかで見たような何にもない部屋を思い描いたりして、そのイメージどおりになるまで片づけなくては、と躍起になってたんですね。
自分にとって必要なモノかどうかさえ関係なかった。とにかく持たない生活をしなくちゃいけない、と思いこんでました。
さすがにこれには無理がありました。なんかしんどかったですもん。
だけどあるとき、みんな片づけの途中で死んでしまう、というあたりまえのことに気づいて、なんか力が抜けてラクになった。
片づけは生活すること
片づけがどうでもよくなったわけじゃありません。
新しいモノを買うのはずいぶん慎重になりました。なぜなら、いらなくなったモノを片づける苦労がわかるようになったから。
- ほんとに必要?
- ほんとに欲しい?
- 買ったとたんにいらないものにならない?
- 片づけるのに苦労しない?
などと幾日も考える。
これだけでも片づけを始めてよかったと思う。
生きてる限り人は食べるように片づけるものなんですね。
食べるようにモノを持ち、いらないモノは出す。生活はその繰り返し。
過食がよくないように、余計なモノを持ち過ぎるのも有害で、食べ物を吟味するように、持ち物を厳選する。そうして自分の快適な加減を知るんですね。
そしてその加減は、ひとりひとり顔が違うようにみんな違うのだ。
「きょうはこのへんにしよう」
こんなふうに片づけは毎日終わらない。
毎日30分片づけ
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