コロナ禍でははじめ、人命を何より大切なこととし、感染拡大を防ぐために経済を止めることに精を出した。ところが、これが思いのほか時間がかかる。やがて経済が動かせないことで追い詰められていく事態が深刻になってきた。結局、よくわからないまま経済活動が再開されつつある。
テクノロジーも医療技術も100年前とは比べ物にならないほど進化しているはずなのに、感染症対策ときたら、結局100年前と大して変わらない都市封鎖を繰り返すしかない芸のなさが哀しい。
都市封鎖以外にコロナ対策はあったか?
コロナ対策で成功したと言われている国は、多かれ少なかれ都市封鎖的なことをしている。都市封鎖を行わない国は、経済や医療が弱く、封鎖したくてもできない事情があって、たまたま封鎖していないだけのようだ。
日本は海外のような都市封鎖ではないといわれているが、お願いだけでほぼ都市封鎖に近い状況に追い込まれている。
スウェーデンやブラジルは集団免疫を獲得する戦略で、ウイルスと経済の両立を目指しているが、途方もない死亡者を出す結果になっており、とてもうまくいっているようには見えない。
結局、このコロナは、一時的に経済を止めて抑えるしかなかったようだ。かなり早くから準備していたというドイツや韓国ですらそうだったんだから、何もしてなかった国が行き当たりばったりになってしまったのは仕方ないかもしれない。いろいろわからないことも多かったし。
でも、これからも同じことを繰り返していくのかについては考えないといけない。
- グローバルをやめて鎖国状態でも回せる経済を構築するのか?
- 安心して都市封鎖できる仕組みを作るのか?
- 感染を防止しつつ経済を止めない仕組みを考えるのか?
いずれも大変な転換と準備が必要になりそう。これまでのように行き当たりばったりでは生き残れないかも。
データも精神論も
PCR検査がなかなか増やせない現実もさることながら、つい最近まで保健所への報告が手書きのファックスだったという話はさすがに衝撃的だった。
フランスでは日本の作った機械でPCR検査の自動化を進めていて、1日10万件を超える検査を可能にしているというのに。「ものづくり日本」と自画自賛している場合ではない。
もう少し計算できるようになったほうがいいかもしれない。
わたしは少々データに弱い。この頃は、何かと「データを出せ」だの「数値目標を示せ」「科学的根拠がない」などと言うが、データが有効なのかどうか、まるっきりわからないことも少なくない。いまだに精神論のほうが根強かったりして、データを軽んじる風潮さえある日本だから助かっているようなものだ。
だからというわけでもなかろうが、具体的な数値を何でも信用してしまうところがある。美しいグラフなど見せられようものなら、何を意味しているのかわからないくせに、意味もなく大したもんだと感心してしまう。データを駆使した大阪モデルを颯爽と説明する知事を格好いいと思うミーハーなわたし。そういうところ、危ないから気をつけないと。
もちろん精神論を支持しているわけでもない。辛抱はとうといとか、我慢は偉いとかいう思い込みに付き合わされるのはごめんこうむりたい。ついでに、きついことをすることが努力とありがたがり、努力すれば報われるって期待するのも脳のクセみたいよ。
データも精神論も、生きるためにうまく利用すればいいもの。こんな行き当たりばったりなわたしでも、おもしろく生き残れる確率の高いデータと精神論はないものか。
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