最近は転勤や休みの少ない仕事が嫌われる傾向にあるそうだ。だけど現実は、長時間労働しないと収入が少ない。もっと割のいい仕事はないか? そんなふうに思わない人はいないのではないか。
どうしてこんなにお金を儲けるために消耗しなくてはならないの? と世の中を呪ってみても仕方がない。
いかに儲けるかを考えるのも方法だけど、お金を使う生活を見直す意識改革も必要な気がする。
これは節約といった類の話ではなくて、生き方の問題かもしれない。
人生の労働時間には限りがある。
人生で働ける期間は限られている。そんなこと、いつかは死ぬのと同じぐらいみんなわかっている。ただ考えないようにしていて、定年が近づいたり、失業したりしたときに、ふと我に返る。
お金を儲けるためにがむしゃらに働いている時間は、それ以外の大切なことを何も考えられない状態にしてしまうようだ。
フルタイムで働けない発達障害の子どもは、休みの日といっても、休む時間なんてないという。生きるためにやることは儲けることだけではないのに、儲けない時間はないことになっていると嘆く。
なるほど人は稼ぐ仕事以外に休養のほか、育てたり、介護したり、家事をしたり、いろんな大事な仕事がある。にもかかわらず、稼ぐ仕事以外の仕事はないことになってて、稼いでない人は怠け者扱いされることもある。
どんなこともお金で買わないといけなくなって、ますますお金が必要になる一方である。
だからどうすればいいのかなんてむずかしいことはわからない。だけど、何でもお金ですませる生活をあたりまえにしないようにしたいと思う。
人生の労働時間には限りがあって、いつか働けなくなる日が必ず来る。それでも人生は続くからだ。
「先立つものはお金」という先入観
世の中には、身一つから財を成した人やお金持ちでもないのに世界中を旅する人がいる。こういうことは誰にでもまねできることではないけれど、お金がなくてもできることがあるんだなぁ、と勇気をもらう。
「先立つものはお金」という先入観にとらわれている人ほど、お金がないときの絶望感が大きく、実際にお金がないことで命を落としてしまいかねない。
人に頼れない人ほどお金に依存する気がする。人を信じて助け合うのは、お金を儲けるのと同じくらい難しいからだ。お金があれば、対人関係の困難をかなり軽減できると考える人は少なくない。
わたし自身、知人も少なく、対人関係も得意でない上にお金もないから不安でたまらない。
だけど生きるためには何かできることをしないといけないと考えたとき、自分にできる人づきあいを始めようと思うようになった。それが役に立つのかどうかは知らない。でも、どっちみち人間ひとりでは生きられない。
とはいえ、人づきあいするにはお金がいる。何をするにも先立つものはお金。そう思って何もせずにきたのだ。
これはアドラー心理学的にいうと、お金を言い訳にして、わたしは人づきあいしたくないと思っている、ということらしい。実際は、お金のかからない範囲で、いくらでも人づきあいしようと思えばできるのである。ただ、そういう勇気がなかったのと、お金がかかる人づきあいにこだわる見栄っ張り的なところがあったように思う。
先立つものがなくても人づきあいはできる。そんなあたりまえのことに気づかされたのはつい最近。
バブル育ちの後遺症か、お金依存度がかなり重症なのである。
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