いい仕事に就くにも、勉強するにも、ああ何をするにもお金がいるなぁ、と思う。体力とか能力とかも、お金があれば何とかなりそうに思ってしまうのは、お金がない者の妄想だろうか。
一方、まとまったお金がなくても、人に恵まれてみるみる成功する人を見ると、やっぱり人も大切だなぁと思う。
先立つお金も人も持たない人はどうすればいいのか?
なけなしのお金を何にどんなふうに使えばいいのか? 助けてくれる人をどうやって探せばいいのか? 考え続けているけどわからない。
ただ、まず自分が与えることを始めないと始まらないという説は間違ってない気がする。
何のために働くか?
ついこの間まで、お金儲けできる人に憧れてたし、自分もそうなりたいと思ってた。
でも、お金を稼ぐことは、いかに割のいい仕事を見つけてこなすかという話に集約されていく。何をしてお金をもらっているか、ということは考えなくなる。余計なことは考えず、無心に割り切って働くぐらいでないと、競争に負けてしまうから仕方ない。
ところがわたしは、自分が何をしてお金をもらっているのかが気になってしようがない。こうすれば数字が上がるよ、とゲームをしているかのように言われても、これがいったい誰の役に立っているのか、などと考えてしまい、お金儲けのためだと割り切るも長続きしないのだ。
お金をはらってでもしてほしいと思われている役立つ仕事に限って、儲からないから誰もしなくなっている。
お金をもらう仕事は、多かれ少なかれヤニス・バルファキス氏が述べているように、『必要のないものや買うつもりのなかったものを買わせ』る行為なのだと思うとつくづく嫌になる。
そんな仕事をやらないことには暮らせないのだから「とほほ」である。
資本社会のことがよくわかる名作
ボランティアに興味なかったけど
ボランティアに参加している人の多くは、助けてもらった経験を持ち、感謝の気持ちで参加しているというのが興味深い。人は恩返ししないと気が済まないというのはほんとらしい。
わたしが社会参加しようと思ったきっかけもまた、発達障害の子どものことで、福祉関係者にいろいろお世話になったからだ。誰かに親切にしてもらうと、誰かに親切にせねばと思うからふしぎなものである。
できることは何でもしたいと思っても、先立つお金がなくて思うような活動ができないボランティアが数多くいるという。
儲かるところに無駄に集中してしまうお金や人を、ほんとに必要なところに届けるいい方法はないものかと思っていたら、困っているところに資金を調達するファンドレイザーという専門家がいることを知った。
日本には少なく、世界的にもまだ新しいファンドレイザーは、寄付や社会的投資を含む資金調達のほか、人々に社会課題の解決に参加してもらうための組織や財源づくり、教育などを行う専門家だそうだ。こういう人が増えて、世の中が少し変わるといいな。
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