世の中のせいにしてわかったこと

keizoku

「働かざる者食うべからず」とか「人様に迷惑をかけてはいけない」といった価値観で育ったせいか、バブルがはじけて人並みの生活をするのがきつくなってきたときは、きちんと貯金してなかったからだとか、身の丈に合わない贅沢な生活をしていたからだとか、もう反省ばっかりしていた。

自分が働いて収入を増やすというのもうまくできなかったし、そうこうしているうちに配偶者の収入は減る一方になった。

そんな下り坂に慣れた頃、世の中の異変に気づいた。何でもかんでも自己責任というのはどうか。資本主義社会の限界なんじゃないか。そんなふうに堂々と世の中のせいにしてもいいような風潮に変わってきていたのだ。

資本主義社会って何?

どうやら資本主義社会が格差や貧困を招いているらしい。

あたりまえになり過ぎていて生活のすべてを委ねている資本主義社会が駄目ってどういうこと? そもそも資本主義社会って何? 何がどう駄目なのか。

その頃からビジネスパーソンが読みそうな佐藤優氏のマルクスの解説本や池上彰氏の解説本をはじめ、世の中が知れそうな読書を興味の赴くままするようになった。

中でもヤニス・バルファキス氏の『父が娘に語る経済の話』は、おもしろいと同時に、世間知らずを思い知るコワい本になった。資本主義社会というのは、学べば学ぶほどいつかそのうち破綻することを薄々予感させるような危ういシステムのようである。バルファキスの経済の話は、それをわかりやすく駄目押ししてくれるものとなった。

どうすればいいのか。未来は誰にもわからない

社会問題というのは、答えの見いだせない難問のことをいうのだとつくづく思い知る。

資本主義社会はこのままでは続かない。とりあえず成長し続けて、拡大させて、どうにか動かしていくことしか思いつかない感じである。当然そんな無理は続かない。

続けられなくなったら、なったときに考えればいいと思っているのかも。

どうなってしまうのか。どうすればいいのか。きっと誰もわからないのである。

せいぜい予想したり想像するくらいで、備えることすらできないというのが正直なところかもしれない。

資本主義社会でない社会

可能かどうかとか、現実的かどうかを別にすると、社会のあり方は無限にある。ところがどっぷり中にいると、資本主義社会がすべてで、それ以外考えられない状態になってしまう。実際わたしがそんな感じだった。

ところが世の中には貨幣や市場に依存しない自給自足を目指す人もいる。成長や拡大しなくても持続できる社会を目指したシェア(共有)社会や相互扶助に地域貨幣を利用するなど、新しい社会の試みも見られる。

資本主義社会がすべてを呑みこむ勢いで強大になってしまっているけれど、限りある資源の中でもうこれ以上成長できなくなったあかつきには、ほかの多様な社会と共存を目指す道もあるかもしれない。

自分のせいにするのをやめて世の中のせいにしてみて、資本主義社会が悪いのかと思いきや、バルファキス氏に教わった大事なことは、

「外の世界」からの視点を持ち続ける

ことだった。そこにわずかな希望がありそうな……。

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