長く生きるほど、因果応報ほどあてにならないものはないと思うようなった。
父を老々介護している母は「いい人がいい死に方をするとは限らないよ。」としょっちゅう言っている。
富裕層とか偉人の習慣や振る舞い、持ち物を真似れば、同じようになれるかのようなことを述べる人も少なくないけれど、真似しきれないのがいけないのか、残念ながら大半は同じようにはなれないのである。
そもそも、どこのどんな環境に生まれるかは誰も選べない。
うまくいくのも失敗するのも、たまたま偶然と考えたほうがいいような気がしている。
努力は何のため?
成功も失敗もたまたまの偶然などと考えたら、誰も努力しなくなるだろうか?
そんなことはない。
もうちょっとがんばれば勝てそうな状況にあれば、きっと誰でもがんばる。
まったく可能性のないアンラッキーな境遇だとしても、絶望する人ばかりじゃない。
きっとそこから抜け出すことに才能を発揮する人も出てくるはず。
負ける可能性があっても、投資する人がいなくなることはないように、何もしないことを選ぶ人は案外少ないような。
何もしないでじっと我慢するのも忍耐がいる。
人間は何かしら目的を作って、がんばってしまう生き物のような気がする。
そうしないと不安で生きていけなくなるから、どんな人もそれなりに努力してしまうものなのだ。
才能と成果はべつもの
うまくいかないことや失敗をすると、自分にはほかの人のように才能がないからと何度思ったか知れない。
才能というと、人より抜き出て優れた能力のことで、みながうらやむような成果を上げるところまでセットで思い描いてしまいがちだけど、才能と成果は別ものと知っておいた方がいい。
平和な時代になったら、戦国時代に活躍した武将たちの才能は役に立たなくなったように、どんな才能も活きるかどうかはたまたま偶然によるところが少なくない。
容姿や演技力がどんなに優れていても、売れっ子になるとは限らないし。
みんなひとりひとり違うのだから、きっと誰でもほかの人にはない才能があるはずなのだ。
ただ、それをうまく活かせるかどうかは、時代とか環境とか幸運とかもちろん努力とか、いろんなことが重なった結果で、才能とは関係ない気がしないでもない。
風を読むとか空気を読むとか、競争が少ない土俵で使える能力を見極めるとか、そういった才能は時代を超えて有効かもしれないけど、それでもやっぱりうまくいくかどうかは誰にもわからない。
だからみんながんばれるのかもって思う。
希望を捨てない人は最強!
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