自分でどうにかするスキルも大事だけど、万が一のときには、誰かに助けを求める能力はもっと大事だと思うこの頃です。
意外とこっちのが難しいのではないだろか。
まじめに生きようとすればするほど、「自己責任」とか「甘えてる」とか「怠けもの」と言われるのがつらくて、じょうずに助けを呼べないことないですか?
困っている人におせっかいしにくい事情
困っている人につけこむ詐欺が横行している中、気持ちはあっても親切がしにくくなってきているような気がします。
下手に親切にふるまっても、「お人よし」と馬鹿にされ、「おせっかい」と煙たがれることもある。
「どうされました?」と声をかけることはなかなかできない。
どこかのお医者様のように、財布を落としたと困惑している高校生に貸してあげるお金もない。
つまりは声をかけたところで、何の役にも立たないし、有難迷惑になるかもしれない。
そう思うとたいていの場合、困っているとわかっても、つい見て見ぬふりをしてしまう。
確かに、何の役にも立たないなら、知らんふりしてもらいたいということもある。
わたしは子どもが不登校になったとき、先生が訪ねてくるのを拒否したことがあったんですよね……。
どうせ何にも解決できないと思ったし、こんな事態を招いたのは、母親である自分のせいだと責められているような感じがして、何ともやりきれなくて嫌だったんです。
でも、あのとき我慢強く声をかけ続けてくれた先生の助けがなければ、うちは今頃どうなっていたかわかりません。
「何かできることはありませんか?」と親切に声をかけるのは、今の世の中ほんとむずかしい。
相手に拒絶なんかされたらなおさらです。
だからこそ、ほんとに困ったとき、じょうずにSOSを発する能力って大事だと思うんですよね。
できるところで恩を売っておくのは悪いことじゃない
万が一のときになって、誰にも「助けて」と言えないのは、日ごろから恩を売ってないせいかも。
恩を売るとは、見返りを期待して人に親切にすることなので、何かすごく嫌な印象かもしれません。
でも人間社会には、何かがほしいと思ったら、それは他人から贈られるしか方法がなくて、そのためにはまず、自分からそれと同じものを他人に与えることから始めるしかない、という贈与システムというのが観察されているといいます。
「自分は騙されない、ひとりで何とかする」とがんばって、少しも恩を売らないでいると、「助けて」なんて言いづらくなるのはあたりまえなんですね。
「何都合のいいこと言ってるんだ」ってことになりますから。
だから「何かとお世話になってることだしお返ししなくちゃ」と思ってもらえるような恩を日ごろからせっせと売るのはセーフティネットを作ってるのと同じことかもしれない。
もちろん、見返りは期待し過ぎちゃいけません……。
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