一度使ったバスタオルを洗うか洗わないか問題は有名である。洗濯機が普及して、汚れたら洗うから使ったら洗うようになった。
石けん洗濯に使う水量や石けん量が馬鹿にならないと気づいて、アルカリ洗濯に変えた。アルカリ剤は消臭力に優れているが汚れ落ちは石けんに劣る。そこで水量も洗剤量も少なくて済むという最新のコンパクト洗剤を使ってみた。すると汚れ落ちも消臭力も劣るとわかってがっかりしている。
一回着ただけの衣服や一回使ったタオル類といった洗濯はアルカリ洗濯し、定期的に石けん洗濯でしっかり洗うのが現代のおすすめ洗濯の方法だという。
下着やタオルを毎日洗いたい気持ちはわからないではない。でも、それはコスト的にも贅沢だし、必要以上に地球を汚染していると思わなくもない。
清潔かどうかの基準
清潔かどうかの基準は一定ではない。
わたしの考える清潔基準は、当人及び周囲の者が不快でないことである。当人が気持ち悪くなくて、かつ他の人にも不快な思いをさせない限り、洗濯しようがしまいがどっちでもいいと思う。
とはいえ、「汚い」とか「臭い」といった不快感を誰かに与えていたとしても気づかないリスクがある。そのリスクを避けたくて、人は過剰気味な清潔志向に落ち着くのかもしれない。
コストや地球環境より、ひとまず周囲の人間関係優先ということだろうか。
清潔志向と環境負荷のバランスと生活コスト
清潔志向の度が過ぎて、かえって不衛生になったり、コストがかかったり、さらには環境汚染を引き起こしている皮肉なケースも珍しくないが、そのことに気づくのはむずかしい。
洗濯槽クリーナーを定期的に使うのがあたりまえになってきたのはいつの頃からだろうか。洗濯槽が汚れるのは、明らかに洗浄剤の使い過ぎであるなど、メーカーが言うはずもないのである。
洗濯コストや環境を考えれば、洗濯の回数を減らし、汚れものはある程度まとめて洗うのがいいということになる。しかし、汚れは軽いうちに早く落としたほうが素材を傷めない。衛生環境的にもそのほうが好ましいかもしれない。洗濯コストや環境負荷も少ない可能性だってあるのだ。
清潔志向と環境負荷のバランスを考慮した健全な暮らしのコストには、あらゆる複雑な要素が絡んでくる。そう簡単に算出できるものではない。
うちの最適な洗濯方法と洗濯頻度、世界一のスパコン「富岳」様にはじき出してほしい。
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