「ポツンと一軒家」つい見てしまう3つのわけ

potsunto-ikkenya

「ポツンと一軒家」がレギュラー番組になる前から見るともなく見ていた。

よその人の暮らしぶり、覗いてみたい好奇心にかられる。

それが途方に暮れるような不便極まりないところにぽつんとあるおうちだったらなおさらのこと。

自分の暮らしと比べて安心したいのか、元気をもらいたいのか。

なぜにこんなに見てしまうのか、我ながら不思議。

健康で支えてくれる人がいれば幸せ

「ポツンと一軒家」にはさまざまなドラマがあって、事情はさまざまなんだけど、人里から離れていて、何かと不便なことは共通している。

「買い物はどうしているんですか?」という質問に、さすがに「買い物はしません。」と答えた人はわたしの知る限りいない。

知人が届けに来るとか、車で買い出しに行くなど、当然周囲と何らかの関わりがある。

「ポツンと一軒家」で暮らすには、健康であることと協力者がいることが欠かせないようです。

健康で支え合う人がいれば、どこでも幸せに暮らせることがわかる。

終わりが見える切なさに目を奪われる。

「ポツンと一軒家」の暮らしには、いつまでも続かないという切なさがある。

年をとって身のまわりのことが自分でできなくなれば、その地を離れるしかない。

街の暮らしは、自分が年をとって時代が変わっても、永遠に続いていくように感じるけれど、「ポツンと一軒家」はそこに人がいなくなれば、家も道もやがて朽ちていく。

「ポツンと一軒家」に暮らす人たちには、そういうあきらめというか覚悟みたいのがあって、胸を突かれる。

ものごとには終わりがある。

わたしはそのことをただ見ないようにして、今の暮らしが永遠に続くかのように暮らしているだけなのかもしれない。

買わない暮らしぶりに胸がすく

「ポツンと一軒家」の人たちは、おそらく必要最小限のものしか買い物しない。

自分で作れるものは何でも自分で作るのにはびっくりするし、その技術がうらやましい。

なかでも大工仕事がすごい。

しかも廃材なんかを使うから無駄がない。

日本にもまだこんなふうに暮らしている人たちがいることが嬉しいし、誇らしい。

自分で使うものを自分で作るっていいなぁ。

やってみたいけど自分にはとてもできない。そんなちょっとうらやましい暮らしがそこにはある。

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