どんなに素敵なおうちに住んでいても、どれほど福利厚生充実の職場であっても、居心地の良さを決めるのは周囲の人との関係なんですよね。
『吃音』にこんな一文があるそうです。
発話を制御する技も習得したが、彼が心底安らうことができるのは、「素のまま」で人と深く交われる実家のような場所だった(朝日新聞 折々のことばより抜粋)
どこもかしこも実家のような場所というわけにはいかないけれど、自分のダメなところ、わがままな部分、そのままちょっと見逃してもらえるような環境づくりに骨を折るのが人づきあいではないでしょうか。
情けは人の為ならず
「情けは人の為ならず」を「情けはその人のためにならない」という意味で解釈している人、たぶんもういないと思いますけど、情けはほかの人の為にするのではありません。
自分が得するからするんです。
少なくとも親切にした相手に悪い印象は与えません。
悪く言うと、売れる恩は売っとけってことですね。
「人に親切にしなくちゃ」などと無理に思わなくても、得すると思えば自然とできそうです。
ところが、家族や上司など、ちょっとやそっとのことではありがたがられず、あたりまえのような態度をされて、損した気分になることもよくあります。
だけどこれ見よがしの親切を押しつけがましくするよりも、気づかれないぐらいさりげない小さな親切を積み上げるほうが実は効果があるのではあるまいか。
無理しないで難なくできるあたりの親切を、こつこつ貯金するつもりでやっとくと、そのうちきっといいことがある。
わたしはそう信じてます。
いつでもご機嫌のフリに努める
かかりつけ病院の先生は目が回るほど忙しいはずなのに、鼻歌でも聞こえてきそうなほどいつもご機嫌で尊敬してます。
若い頃は救急医だったらしく、「町医者なんぞ楽勝」と思っているかどうかはわからないけれど、先生のおかげでその病院はとても評判がいい。
患者さんでいつもあふれかえってるのに、どこか明るく穏やかな雰囲気。
看護師さんたちも親切で感じがいい。
ご機嫌パワーのすごさには毎度感心させられている。
毎日機嫌よくするのはむずかしいかもしれないけれど、なるだけ機嫌のいいフリに努める価値はあります。
嫌な仕事も機嫌よくやっていると、周囲は怪訝に思います。
何がそんなに楽しいのか。
楽しそうにしていると、気になるのが人間の習性らしい。
片づけなんかは感化される人が少なくないと言います。
機嫌が悪かろうが良かろうが、そんなことにはおかまいなく、ご機嫌なフリはしたほうが得です。
比べない
樹木希林さんも「人と比べない」と言ってましたね。
マイペースな人は、いろいろ比べないのが基本。
そんなこと言っても、ほかの人のあれこれが気にならない人はいません。
わたしは
「いいなぁ」
「すごいなぁ」
「そういうのもありなんだ」
と素直な感想を声に出して言うようにしてます。
ひとりのときにしたほうが無難です。
同じ土俵に並ばないで観察するんですね。
「自分のことは棚に上げる」ってやつです。
こういうときに使うと害がなくてほほえましい。
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