お金をいただくということ

money190422

事業主として、顧客からお金をいただくということについて、あらためて考えさせられました。

自分で値段をつけるというのは、思っていた以上に難しい。

いろんな考え方の人がいるんですよね。

ドライに市場の原理だけに注目する人もいれば、繊細な人情を大事にする人もいて、わたしはどっちも無視できないと思う。

バランスなんですよね。

価格お高め市場主義の違和感

ウエブマーケティングの成功者たちは、これぐらい頂戴したいと思う価格のだいたい2倍に設定するのがいいなんて言ってます。

とにかく安売りはご法度。

準備や拘束時間などのコスト計算をシビアに算出するというのは大事なことだと思います。

無理して継続できないというのは一番避けないといけないことですからね。

でもね、市場ばっかり見て数字だけ追いかけてると、人のこと見なくなってくるんですよ。

どんなビジネスも人を相手にするものです。

顧客に喜ばれるビジネスが市場の競争で勝っているようには見えない。

確かに人情だけではダメかもしれないけど、市場だけ見ててもやっぱり長続きしないと思う。

市場の変化はいつの時代も激しくて、追いかけるだけで消耗しますから。

お金が発生しないやりとりも大事

なんでもかんでもお金に換える世の中ですが、人の暮らしには、お金とは無縁のやりとりが現実にはいくらでもあるんですよね。

で、お金が発生しないやりとりを軽視しがちだと思うんです。

きのう「ポツンと一軒家」に出てきたおじいさん、手先が器用でちょっとしたほうきや孫の手なんかを手作りしては欲しい人にあげてしまうそう。

スタッフが「売ったらいい」と言うと、不機嫌そうに「売らない」とキッパリ。

つい「売ればいいのに」という市場主義的な発想のスタッフの気持ち、わたしもよくわかります。

でも、おじいさんは、今の暮らしが充実していてしあわせで、必要以上のお金なんかいらないんですね。そのあたりの加減がわかってらしてカッコいい。

そういう人が地域で信頼されないわけがない。

また、ほぼ日掲載小田豊さんの『あの会社のお仕事。六花亭製菓編』の中でのお話。

六花亭をつくった父(小田豊四郎:初代社長)がよく言っていたことなんですけどね。「このお菓子で100円ほしいと思ったら、値段は95円にしろ。」って。

足りない5円は、自分たちの努力で補えと。

お客さまから100円をいただかないで、「もう5円」は、自分たちで知恵をしぼったり、一生懸命、はたらくことによって補えと。

付加価値をつけて、なるだけ有利な価格で儲けたい。

そう思うのは今の市場社会ではあたりまえです。

でも、ほんとは暮らしがどうにかまわせるぐらいのお金をいただいて、お金を払ってくれた人も喜んでくれて、というのがちょうどいいんですね。

もちろん無理して損することはないけど、かと言って必要以上にとらないというのが大事なのかも。

そのあたりの加減が人と暮らす社会が活性するか分断するかの分かれ道になる気がします。

生保会社が老後に必要なお金を算出したりなんかしてますが、お金はいくらあっても足りないと洗脳されてるような感じで嫌なんですよね。

でもお金はたくさんあっても、幸せになれるとは限らないことも薄々わかってたりもする。

人の暮らしはお金だけでははかれないもっと複雑なもの。

といってもお金は大事。

でも、お金だけでは行き届かない部分にも目を向けないと、人を相手にお金を頂戴することはできないって思います。

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