お金の使いどころ

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どこで何にお金を使うかというのは自由なんだけれど、詰め将棋の正解のように、もしかしたら最適解みたいのがあるんだったら誰か教えて。

街の電気屋さん

毎年シーズンが始まる頃に、エアコンのメンテナンスと掃除を兼ねて、購入者のお宅を一件一件まわるという電気屋さんが紹介されていた。昭和の頃は、商店街に一つはかならずあったなぁと懐かしい。今でも地域によってはなくてはならない存在のようだ。

わたしの実家も、家電量販店のほうが値段は安いのだが、昔からのつき合いで、ちょっとしたことも頼みやすいなじみの電気屋さんがあった。

量販店で安く家電製品が購入できても、メンテナンスや設置、処分はすべて別料金である。そういうのがキャンペーンで無料になっても、入れ替わり立ち代わりそれぞれの業者さんが作業するだけだからなじみがない。だからちょっとした質問やお願いがしにくい。家電を長く大事に使おうと思っても、おっくうになってなかなかむずかしいご時勢なのだ。だからちょっと具合が悪くなると早々に買い換えることになってしまう気がする。粗大ごみが増えても経済が回るほうがいいのだろうか。

「電球一個から取り換えます」といったキャッチフレーズで復活した街の電気屋さんが話題になったのは、もう何年前のことだったろうか。こうした融通の利く個人商店は、人手不足も深刻だし、儲からないから減る一方である。

少しぐらい高くても、最後まで面倒見てくれるところで買いたいといった需要は今後増えても、きっと経営が成り立たない。

退職コンサルタント

やめたくてもやめさせてくれない会社の退社手続きを代行するビジネスが好調だと聞いてびっくりしていたが、相変わらず従業員を自主退社に追い込む代行ビジネスもあるようで憂鬱になる。

トラブルは直接交渉より第三者に入ってもらったほうがいい場合もあるにはある。

めんどくさい交渉ごとは、お金を払ってでもプロに任せたいと思うのが人情だ。そこにつけこんでくるビジネスがなくならないのは、人の嫌がることを代行するビジネスは儲かるからだ。

しかし、めんどうごとを引き受けるだけ引き受けて、まともな働きをしないでお金をとるだけのプロも少なくない。なかにはそれらしい国家資格まで持っていたりするから油断ならない。

いったい何を信じればいいのか。

お金だけでは解決しないこと

誰かに何かを任せるとき、お金を支払えばそれで解決すると誤解してはいないだろうか。

任せる相手を選んでいるのは自分なのだ。

経歴や資格だけで信用していいとは限らない。対話して、目で見て、判断するのは自分である。

長いつき合いの人でも、何かの事情で裏切らないとも限らない。

そう、どんなに慎重に判断しても、間違わない保証はどこにもないのである。

戦後、全財産を持って畑を買いに行った主婦は、その全財産でスイカを買って帰ったという。家族は呆れたが、子どもたちは大喜びしたという話を聞いたとき、何よりも今、子どもたちを喜ばせようとした主婦の決断に驚くとともに感動したのだった。

このエピソードは幸いにも笑い話になったが、もしかしたら家族はその後飢え死にする可能性もあったのだ。しかし、結果的にはそのスイカで子どもたちは元気を取り戻し、家族みんなで力を合わせて生き抜くことができたのだからわからないものである。

スイカを持ち帰った主婦を迎え入れた家族といい、全財産をスイカに換えた主婦といい、互いに信頼していないとかなわないできごとではないだろうか。お金の使いどころを正解にするかどうかは、人との関係次第なのかもしれない。

誰かがものごとはgiveから始まると言ったように、もしかしたら騙されるかもしれないけど、結局は信用するしかないのが人づきあいというもので、ビジネスはその延長線上にある。

お金にならない話し合いや折り合いを軽視して、省略して、効率化して生産性を上げてる気になってるけど、やっぱり何というか、お金では解決しない、お金のやりとりとは別の、ただ信じるしかない人づきあいに立ち戻ることでしか最適なお金の使いどころは見つからない気がしている。

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