地方でも最近目につくのが個別とかマンツーマン方式の塾である。ついこの間まで駅前にあった大手の予備校もいつの間にか看板に個別対応という文字が並ぶ。
ダイエットやスポーツをするのも個人宅で個人的に指導してくれるパーソナルトレーナーが人気だという。仕事の悩みもマンツーマンで相談できるコンサルタントが増えている。
コミュニケーション能力が問われる中、より多くの人とうまくやっていかないといけないという、わけのわからないプレッシャーで疲弊し、かえって孤独を感じる人が少なくないのかもしれない。
マンツーマンの見守り求めて
社交的でないわたしは、親しい知人が少ないことに劣等感を持っている。みんなに好かれて友だちの多い人に憧れる一方、わたしにはとても無理、というあきらめやらねたみをいつも抱えている。
だから少人数の作文教室で、生徒同士が交流できるのはいいことだと思っていた。ところが、そこでもやっぱり発表がストレスになる生徒がかならずいることが気がかりだった。少人数なので、誰にでも発表の機会がかならずあって、注目度も高い。経験を積めば誰でも慣れてくるのだけど、そのペースには当然個人差がある。
もちろんクラス制でも個別対応する時間も設けられている。それでも結局クラス制ではなく、マンツーマンを希望する生徒が少なくない。クラスの一員は、学校だけでたくさんなのかもしれない。その気持ち、わからないではない。
わたしはこの年になっても相変わらず社交が得意でないままである。でも、人嫌いになることも対人恐怖でおびえることもなく、マイペースで人づきあいができるおとなになれた。それは、たまたま逃げ込める安全地帯があったからではないかと思っている。
自分のことを見守ってくれる人がひとりでもいれば、人は安心して外の世界に踏み出す勇気が持てる。駄目な時は引っ込んでいられる居場所があるからだ。だから深刻な孤独に悩み続けないでいられた。見守ってくれる人の存在が安全地帯になっていたからだ。
たったひとりでいい。自分のことを見てくれる人がほしい。誰もが無意識にそう願っているのだ。だから今の時代、とくにマンツーマンが人気になっているのかもしれない。
マンツーマンがコミュニケーションの基本
マザーテレサは「社会貢献したければ、まず身近にいる家族を愛しなさい。」と述べている。教会に戻って、もっと大きな仕事をするように言われたときも、目の前の人を助けることをやめなかった。
わたしはこれまでいろんなたくさんの人と上手にコミュニケーションできる人が優れていると思ってきた。もちろんすばらしい尊敬すべき能力である。
でも、目の前にいる身近な人を大切にすることが基本なのだ。大切にするというのも、何か援助するとか支援するといったすごいことではない。ただひたすら見守るということなのかもしれない。
見守ってくれる人がいれば、人は誰でも持っている力が発揮できるようにできているのだ。
わたしも見守られながら見守る人でありたいと思う。
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