資本社会に暮らす以上、お金は大事です。
だけど、お金をどんどん稼がないことには回っていかない暮らしって無理がありますよね。
人生には、いろんな事情で稼げない時期というのがあるからです。
だから備えて貯金するんですが、これが思うようにできないこともありますよね。
暮らしに必要なお金は自分で決めたい
わたしも世間体を気にしたり、世間並みをつくろったり、ついしてしまいます。
できるうちはいいんですよ。それがやる気とかはりあいになったるする場合もあると思うからです。
でも、しんどくなってやめたいな、と思ったときが困るんですよね。
どうしてやめればいいのかわからないからです。
「身の丈に合った生活をしよう」と思い立ったのはいいけれど、身の丈っていうのがわからない。
みんながしてることはしたいし、みんなが持ってるものは持ちたい。
そんなふうに思って、自分に必要なものを自分で決められないでいるからおかしなことになるんですね。
思い切って、うちは「なし」でいこう! と決断するの、けっこう難しい。
お金がなくても堂々とするって難しい
おしゃれなミニマリストが注目されたり、稼ぐ時間を節約して、お金のかからない生活を実践しているという人もいたりして、やろうと思えば暮らし方は自由自在にできる。
だけど、この頃つくづく思うんです。
お金がなくても堂々とするって難しい。
自分より裕福な人を見ると、必ず卑屈になるし、お金がないと侮られそうなので、ついあるようなふりをしてみたりなんかして、ときどき哀しくなる。
こういうのがみじめって言うんだろうな、なんて思ったりするんです。
誰かと比べるからなんでしょうかね。
わたしはね、朝ドラのひよっこの登場人物たちのように、あんまりお金がないので、こういう小さな暮らしをしてます! って堂々と暮らせるようになりたいな。
そのために、ほんとに自分に必要なものは自分で決めて、妙な見栄は捨てないと、って思ってるところです。
持ち物を減らすのが基本
片づけは終わらない。
気づいたら片づける。その繰り返し。
そうするうちに、どんどん新しいものを持ちたくなることが減りました。
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わかります。私もひよっこの登場人物の暮らしかたが素敵だなあと思います。あの当時はどこのおうちもあんな感じだったのでしょうね。先日放送されたアパートの台所でみんなでそうめんを作って食べるシーンは、鍋もざるもお玉も食器も当時の雰囲気がそのままでいいなあと思いました。私は浮気性で、つい新しいものやおしゃれなものに目が行きがちですが、あのシーンを見たら今自分が使っている古くなったざるも鍋も大事に使おうって気持ちになりました。こじんまりと質素に暮らすことが今の理想ですね。そのためにも物は減らさなければ。
コメントありがとうございます。
暮らしにも流行があるのでしょうけれど、いつの時代も、自分に必要かどうかがちゃんと判断できる人は、きっとわたしのように困ってないんだろうなぁって思います。