これはほんとに個人差があることだと思うのだけど、人と接するとき、自分に合った距離感を保つくふうが必要だ。相手によっても変わるだろうし、自分のコンディションやそのときそのときの状況によっても変わってくるデリケートな感覚だ。これを人間関係というのかもしれない。
人との距離の調整は、車の速度調整に似てる
今朝もワイドショーで交通事故の画像が流れていて、そういうのを見るたび思うことがある。もう少しスピードが遅ければ、もうちょっと車間距離があれば、もっと被害が小さかったろうにって。
道路では、車の流れに乗らなくてはいけない。法定速度内であっても、コントロールできる速度というのはそれぞれではないだろうか。助手席に乗っているとき、わたしなんかは時速60kmを超えると怖くなることがある。とっさに反応できないと思うからだ。
人との距離感も車の運転と似ている気がする。自分がきちんと接することができる距離というのがあって、その調整に苦労する。その場の雰囲気に合わせたほうが無難なとき、何となくそうしていると、思いがけないところで相手を怒らせてしまったり、自分がストレスをため込んだりして、それがトラブルの種になるのではなかろうか。
安全な距離感はやり直せる距離感
車の運転に避けられない事故や失敗があるように、人づきあいも無事故ですむことはない。こうした事故やトラブルを最小限にするには、人と接するときもまた、じゅうぶんな車間距離ではないけれど、自分がコントロール可能な距離感を保つよう努めることが大事ではないだろうか。
そうして自分がちゃんと対応できる状態にあれば、万が一トラブルが発生したとしても、逃げるなり、話し合うなり、たたかうなりの対応を考えて、人間関係を立て直すことができると思うからだ。
事故らないとか失敗しないことを目指すのではなく、あくまでもトラブルを最小限にして乗り越える備えをすることが大事である。
家族だから仲良くしないといけないとか、好きにならないといけないといった思い込みで、コントロール不能な距離感で無理な人づきあいをしていないだろうか。親しみの度合いや表現はそれぞれである。場合によっては、嫌いでなければそれでいいということもある。
確かに、高速道路を走る車のように、周囲の流れに乗らなければかえって危険な場合もある。しかし、いつでも高速道路を走っているわけではない。自分でコントロールできるときは、自分に合った距離感で、自分なりの誠実さで、人と接することを心がけてみてもいいと思うのだ。案外気持ちよく人づきあいができるようになるかもしれない。
まあそう簡単ではないと思うけれど、ちょうどソーシャルディスタンスが叫ばれる今、みな同じようにくっついたり離れたりするんじゃなくて、それぞれの距離感が尊重できるようになると、お互いもっとラクになるように思う。
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