転んだあとに使える杖を備えたい

korondaatono tsue

感染症の影響で、中国に依存していた物資が滞ってきているそうだ。

マスクはもちろん、びっくりしたのが野菜である。日本の自給率は低いと聞いていたが、中国産が7割8割を占めるという。これほどとは。わたしの暮らす地方では、地元の野菜を買う機会が多く、冷凍食品や加工食品の材料は、ほぼ中国などの海外に依存しているという現状を実感しにくいのだ。

値上げが懸念されているが、それより日本の農業の衰退が心配。中国が売ってくれなくなったら飢餓になるってコワ過ぎる。

経済活動を止める訓練

災害のたびに「不要不急の外出は避けろ」と言うが、経済活動は止まらない。

経済と無関係な活動なんてほとんどないのだからしかたない。破壊されてやむを得ずストップするか、偉い人が「やめろ」と命令しない限り止まらない。

だけど感染症の場合、経済活動を制限して拡散防止を優先するか、経済活動を制限するか、判断がむずかしいというか、たいていどっちつかずで失敗する。

非難訓練と同じように、一定期間、一定の範囲で混乱しないように経済活動をストップする訓練をしておいたほうがいいかもしれない。

家族のような最小単位の場合、訓練以前に突然経済活動がストップする可能性がある。

病気やけが、事故で仕事ができなくなったり、失業で仕事を失うようなことは、大きな自然災害なんかよりよっぽど頻繁に起こるできごとだ。定年退職で収入が激減するというのも、ほぼ確実に来る災害と言えなくもない。

わたしは阪神大震災を経験し、2年ほど実家で避難暮らしをしたことがある。台風の水害で数日間電気・水道・ガスが使えなくなったこともあった。

あたりまえだった終身雇用がなくなって老後資金の目途が立たず、子どもの教育費をまかなえない親や、資金不足で結婚しなかったり子どもを欲しがらない人の増加などなど、誰がちゃんと予想できただろう。こんなふうに、世の中の変化にヒトや社会が対応できなくなるのも災害の一つかもしれない。

今あたりまえに思っているふつうの暮らしは、じつはちょっとしたことでできなくなってしまう危ういものだということは、この年になってようやくわかったことの一つである。

身の回りで経済活動が止まってしまったとき、どんなことができなくなって何に一番困るのか、途方に暮れるしかないだろうな、と思いながらもぼんやり考えるようになった。

突然エコキュートが壊れたとき、いつもならわけもなく腹立たしくなりそうなところ、「これは災害訓練だ」と思って覚悟していたら、思いのほか早く復旧し、事なきを得た。嬉しい反面、エコキュートのない生活をする自信を失った。

どんなものも、いつかは終わるし失うときが来る。終わらないように、失わないように備えるよりも、終わったとき、失ったとき、ふたたび立ち直れるような、そんな訓練がしたい。「転ばぬ先の杖」もいいが「転んだあとの杖」も大事だと思う。

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