【小さな暮らし】だから生活コストが高くなる3つの理由

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しょぼい起業のえらてんさんは、『儲けた金で生活しようと考えない』ことを提案している。

資本社会にどっぷりはまりこんでいると、何わけのわからないこと言ってんの? って話になるのだけれど、飲料水を買ったり、家事代行を依頼するようなことは、ついこの間まで一般的なことではなかったし、爪のお手入れをプロにお任せするのは、芸能人ぐらいのものだった。

何をするにもお金がかかる生活があたりまえになると、お金を儲けないと生活できないということになって、ほとんどの時間、お金を儲けることに費やすのが一人前になるということになる。

どんなに働いて、どんなに儲けてもきりがない。

むしろ儲けようと働けば働くほど、生活にお金がかかるようになると気づいたほうがいいかもしれない。

お金にならない仕事を軽視しがち

主婦が家族のお世話や家事もそこそこに働くようになったのは、家族のお世話や家事をしても、1円も儲からない。その時間、お金になる仕事に就いたほうが家計がラクになるという損得勘定をするようになったからだ。

専業主婦の仕事をお金に換算すると、結構なお金になると言われていて、それが今は家事代行ビジネスになっている。主婦経験を活かし、自分ちの家事の合間に、よその家事を手伝ってお金を儲けよう、などと考えていたら大変なことになる。

ビジネスともなるとプロ級のサービスが求められ、我流の家事など通用しない。現実は家事の合間にできるような仕事ではなかったりするのだ。

何でもプロに任せたほうがいいという風潮のせいか、お金にならない仕事を軽視しがちだと思う。こうした価値観が結局生活コストを上昇させている。

何でもお金で解決しようとする

AIに仕事を奪われるようなことが言われていて、実際に銀行の窓口やコールセンターなど、なくなりつつある仕事がある。

その一方で、めんどくさい対人の仕事は減るどころか対応できる人材が不足していると言われている。

ちょっとしたトラブルやもめごとを収める能力が低くなってきている気がする。それは単純に人と接する機会が減っているからではないか。

おそらく、はじめは対人トラブルを減らそうとして、人が接触しないですむサービスが発展してきたんだろうけれど、そのおかげで、どんどん人づきあいが下手になっているとしたら皮肉。

ちょっとした誤解が原因の小さなトラブルだったのが、裁判やお金で決着する大ごとに発展し、人間関係が破綻するケースが珍しくなくなった。法律やお金で解決するのが最良で、それは最後の手段という意識は失われてしまったようだ。

人づきあいを軽視する

ふだんわたしたちは、お金があればひとりでも生活できると思ってるけど、人はひとりでは生きられない。

ゴミを出せば収集してくれて、病気になったらみてもらえる病院があって、被災したら非難する場所があって、犯罪に巻き込まれたときにはかけこむ警察がある。みなそうした地域のコミュニティに属しているから生活できているのである。

コミュニティで生活する者として、人づきあいは、誰でもない自分のためにやる大事なことなのだ。

家族もりっぱなコミュニティのひとつである。身近な掃除・洗濯・炊事をするにしても、それぞれ好き勝手して、いちいちもめていたら生活にならない。それぞれの事情を考え、配慮し合わなければうまくいかない。これは能力や効率だけですむ問題ではないのだ。

以前、父子家庭のお父さんが、女子高生の娘に、ユーモアのあるお品書きを添えたお弁当を作り続けたというほほえましいエピソードにあたたかい気持ちになったことがある。忙しいのと照れるのとで、ゆっくり顔を合わせて話ができない娘へのメッセージであることを娘はちゃんとわかっていた。これはそのお父さんにしかできないこと。

できることはみなそれぞれ違い、人づきあいの方法は人の数だけあっていい。人との関係はお金で買えない。お金に換えられないところにお金以上の価値があることを思い出したい。

お金の力が強い時代だからこそ、お金に依存し過ぎないことが生活コストを高くしないコツだと思う。

 

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