片づけのプロである近藤麻理恵さんが著書「人生がときめく片づけの魔法」の中で述べている。
片づけができないのは、正しい方法を教わっていないからだって。
片づけって、教わるものなんだ、って軽いショックを受けたものでしたが、なんか説得力ありますよね。
生活の中で自然と身につけなければいけないものだと勝手に思い込んでましたけど、うまくできないのは、ちゃんとした方法を知らないからかもって気がしてきた。
どんなパターンにも通用する片づけの公式はある??
「出したものは、片づける」的なことは、学校や家庭でも教わってきたけれど、そもそもどこに片づけるようにすればいいのか。モノの置き場所・配置は、漠然としていて自由ということになってますよね。
おうちやお部屋の広さにもよるだろうし、どんな生活をしているかによっても変わるだろうし、年齢や性別、体格なんかでも快適さや便利さは違う。
みんな共通して気持ちいいと思える片づけ方はあるんだろうか?
片づけは、個性があってもいいけど、社会性がないとダメかも
片づけ方とか部屋のもようは、当然いろいろあっていいと思う。
ほかの人からすれば、どこに何があるのかさっぱりわからない雑然とした部屋が落ち着くと言い張る主人も少なくない。個人的なお部屋ならそれもいいかと思う。
共同で仕事をする場所だったらどうだろう。掃除担当の人が別にいることも考えられます。自分勝手にごちゃごちゃした部屋は、他人にとっては迷惑以外の何ものでもないですよね。
ほんとは、本人だって、終日探し物に時間をとられてストレスがたまっているかもしれません。
どんなに個人的な場所でも、人との関わりを無視した空間は、居心地が悪いのでは、というのがわたしの意見です。
片づけは、最低限の清潔感と利便性のある場所づくりのため
うちの息子は、片づけが大の苦手です。そのくせ、汚く散らかった部屋が嫌いなので、部屋がごちゃごちゃしてくると、だんだん頭の中まで混乱してくるようで、機嫌が悪くなると言います。
そのたびに助けを求められるので、なるべくかんたんに片づけられるように、モノを減らし、収納をあれこれ試行錯誤してきました。
それでもなお、管理可能なモノの量をオーバーしていると言います。
モノの量は、スペースで決まると思っていたけれど、なるほど管理できるかできないか、で決めたほうが確かです。
存在すら忘れてしまっているモノが案外いっぱいあるんですよね。
めったに使わないモノとか忘れてしまっているモノの量と、毎日使っているモノの量、いったいどっちが多いんだろ。
捨てたがらない人とケンカしてはいけない!
オットはモノを捨てたがらない。使ってなくても、いらないものでも、置いておける場所があるなら置いておけと言う。
言いたいことはあるけれど、言わないように心がけている。相手にも言い分があって、水掛け論になるだけだから。
おうちは家族共同の場である。わたしだけの判断で好きなように片づけてはいけない、ということぐらいわかっているつもり。
まずは自分の陣地だけだまって片づけることにしよう。それだって、じつはちゃんとできていないどころか、めども立っていないんだから、まったくエラソーなことは言えないのだ。
ああ、雑誌で見るような、あこがれのシンプルライフはいったいいつ実現するんだろ。寿命がきちゃう。
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