片づけは持ち物を管理可能な数にすること。つまり新しい持ち物が増えたときは、その数以上の持ち物を減らすというのが片づけなのだ。
片づけとお金を切り詰める倹約とは、結びつけて考えたことがありませんでした。
ものを捨てまくる片づけは、どちらかと言えば倹約の敵ぐらいに思ってたかもしれません。
そんなふうに思っていた間は、片づけも倹約もうまくいってなかった気がします。
大量に捨てまくる時期は永遠に続くことはない
プロの片づけに依頼すると、トラック何台分かの不用品が出てくるおうちも珍しくないと言います。断捨離に成功した勝間和代氏は、引っ越しすることによって強制的にモノを減らしてきたと述べています。
ふつうに暮らしていたら、モノは増えるのがふつうなんですね。モノは捨てるより増やすほうがかんたんだからです。
たまってしまったモノは、大量に処分することも一時的には必要になることもあるけれど、片づけに目覚めると、こうした大量処分の時期は永遠には続かない。捨てるものは徐々に減ってくるからです。
「お金を使わない」「モノを増やさない」効用に勝る買い物は滅多にない
捨てる苦労を味わい、ものが減ってすっきりした快感をわずかでも知るようになると、「モノを増やしたくない」という意識が働いて、持ち物にとかく敏感になります。
もし、それが不用になったらどうなるか。処分するときのことまで考えるようになるんです。
今のわたしには、
- お金を使わない。
- モノを増やさない。
効用がかなり強力になってきてます。
にも関わらず、ほしいものは次から次と出てくる、というのも相変わらずなんですね。
そんなとき、勢いで判断せず、なるべく先送りします。
具体的に使う予定や頻度、収納スペースなんかを考えたりしながら、ただただ先送りするんです。
そうこうしている間に、買うチャンスを逃したり、ほしい気持ちがすっかりなくなったりして、たいてい手に入れなくてよかったと思うことのほうが多いとわかってきました。そうなると、すぐに買わないこと=我慢ではなくなります。
以前は在庫切れになって買えなかったりしたら残念に思っていたのに、今は「お金が減らずモノが増えず」でよかったと思えるんだからわからないものです。
欲しくなる気持ちは流行り病のよう
「あれがほしい」「これがほしい」と思う気持ちは流行り病のように急激に熱くなるけど時間がたてば冷める。
それでも好きでほしいと思えるか。それがあったら暮らしが具体的にどんなふうによくなるか。
生活必需品でないものがほしいときはよくよく考えるようになりました。どんなに考えても考え過ぎってことはない気がします。この頃はこんなふうにあれこれ考えること自体楽しんでるところもあります。
こうして考えることが「モノを増やさずお金も減らさない」片づけと倹約同時に貢献していると思うとなおさら愉快。
手持ちのもので代用できるとわかったときなんか最高です。
片づけと倹約、つながってたんですね。
最近読んだ片づけ本
頭がよくて口達者な方というイメージしかなかった勝間さんでしたが、素直でわかりやすい人という印象を持ちました。
明確な理論はさすが。
いかにも片づけられなさそうな勝間さんの話には説得力があります。
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