書くということ

kakutoiukoto

作文講師という大それたお仕事をするようになって、こうしてブログを書くようになると、書くことについて、いろいろ考える。

人はことばで考えて、その表現手段の一つが書くことで、うまかろうが苦手だろうが、好きだろうが嫌いだろうが、読み書きできる者にとって書くことは、避けられないことではないかと思う。

そんな書くことも、ひとりで生きられるなら必要ない。

自分のためだけに書いているものでも、ほかの人との関りについて考えたり、折り合いをつけようとして書いている。

作文は、絵や音楽ほど特殊な才能はいらないし、対話ほどスピードもいらない。最悪自分の気がすむものを書いて、誰にも見せなければいい。

意外とみんな書くのが好き?

作文や感想文が好きな人は珍しいけど、書くことが嫌いという人は案外少ないのかも。

ブログやSNSを見ていてそう思う。

書くのが好きというより、何でもいいから表現したいんだろうか。

書くからには、読んでほしいと思うのもよくわかる。

でも、インターネット上で公開するというのは、個人的な日記とは話が違う。

有名人でも何でもない個人のブログやSNSなんか誰も見ないと油断していたら、知人の知人の知人あたりから悪口を書いているのがバレたり、よかれと思ってシェアした情報がウソだったり、トラブルが絶えないのを見ていると、わたしなんかはむちゃくちゃコワくなるけど、気にしてない人も多そうだ。

不特定多数の人が目にする可能性を考えると、プロ並みの配慮をしないといけないかも、などと思い詰めるわたしとはどうも感覚が違う。ネット上のトラブルは、不運な交通事故みたいなもので「自分はだいじょうぶ」と思っている人に限って安全運転を怠っている。

本来書くというのは、自分の内面にあるわけのわからないもあもあしたフローな思考を、文字化してストックにしてしまうことなので、リアルタイムではない。書いたものには常に時間差がある。

だから書いたものの、「アレ、何か違う」ってことはしょっちゅうあるし、こんなことを書くつもりなんてなかった、ってことがあるのは、当たり前なのだ。

そういうことを誠実に真摯に調整していけるのが書くことの良さでもある。

自由に表現し、気軽に発表できる場があるのは素晴らしいことだと思う。

だけど書くということは、いつでも対人関係の中にある。ほかの人がいるから表現するのだ。

だからいつ、誰が読んでも「だいじょうぶ」と言えるものになるよう努めていきたい。

それが結局は自分のためになる。

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