「ほぼ日」の糸井さんが毎日書いてる「今日のダーリン」を愛読してます。
いったん損得善悪を忘れて生活してみたら、どうだろ。
糸井さんのこういうところが好き。
世の中の揉め事や悪口の話に嫌な事件、お金のことや自分の能力のこと、いろんなことが頭の中をぐるぐるして、気が滅入ることがある。
そんなとき、肩がぎゅっと固まってることに気づかせてくれるのが「きょうのダーリン」。
こんな文章が書ける人になりたい。
損得や善悪に関係ないもの
ほんとは多くのものごとが、損得や善悪に関係ないんじゃないか
そういうところがなんだか大事
ブログの記事のタイトルを考えるときは、損得善悪がすべてのような気がします。
そのほうがわかりやすいし、読者の興味をひくからです。
ブログに好きなことを書いて個性を出すのは有名になってから。
一般人の主婦が何を書いても誰も注目しないというのは正しい。
目に留まるようになるまでは、多少不本意でも気を引くタイトルの記事を書くことに励むのです。
なるほどそのとおりかもしれない。
いつの間にやら無意識のうちに、損得や善悪でしかものごとを考えなくなってて、「だから損する」とか「得する方法」といった損得タイトルの記事をせっせと書くようになってました。
タイトルは考えてはいけない。真似るのが王道、と学んだからです。
善悪系記事といえば批判や称賛の記事。こういうのも注目度が高い。悪口の炎上商法はなんだかんだ言って効果があると聞きました。
こうなってくると、損得や善悪と無関係でいることがどういうことなのかわからなくなってきます。
善悪も多数決の民主主義と何でもお金に換算する資本主義の影響を受け過ぎてるのでしょうか。
いやいや、わたしのブログ生活、
- 儲かる方向性についていけなかった。
- 不自然な集客に違和感。
- ブログでセルフブランディングというのに違和感。恥ずかしいし、気色悪い。
儲けたい気持ちもあるし、読んでほしい気持ちもありながらの紆余曲折の日々です。
大して儲かってもないし読者も少ないブログは、一般的には続ける価値がない悪いブログと評価されます。
だからブログの報酬が増えないことにがっかりして残念なのも本音です。
でもその一方で、続けていることがラッキーでうれしいと思っていることもほんとだからふしぎ。
これはもう損得も善悪も関係ないところと言えます。
そういうところがなんだか大事
と「今日のダーリン」に励まされたので、バカボンのパパのように「これでいいのだ」と思うことにしました。
「損か得か」「善か悪か」と眉間にしわ寄せながら懸命に生きる毎日ですが、どっちでもないどうでもいいことのほうがいっぱいあって、そのほうがけっこう大事だったりするのかもしれません。
きっとそうです。
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