発達障害で不登校だった子どものことは、気にかけない日はありません。
不登校時は、今ほど発達障害が認知されておらず、家族や本人はもちろん、周囲もどうすればいいのかわからない状態でしたので、それらしい相談窓口に出向いても、たいてい話を聞いてもらうだけでした。
人には期待しないでがっかりしない
相談に行くたび、はじめから状況や事情を説明し、困っていることを話さないといけないので、なかなかおっくうなことでした。
神妙に黙って話を聞いてくれるのはまだいいほうで、何だかとんちんかんなアドバイスをされて、結局何しに行ったのか、どうすればいいのか、わからなくなることもありました。
こちらもうまく話せない自覚があって、相手に伝わらないのも仕方ないとあきらめて帰ることも。
「ひとりで悩まないで相談しましょう」なんてよく言いますが、一大決心して相談に行っても、「結局何にもしてくれない。」みたいに思っていた時期がずいぶんありました。
相談に出向くって、かなりの勇気がいるものです。それでも行動しているのは、かなり困った状態だからです。
「何とかしてよ」という期待感と「どうにかしたい」というあせりが前のめりになってたんですね。
今は、相手にあんまり期待し過ぎないことと、期待どおりの反応がなくても、いちいちがっかりしないほうがいいなって思う。
相談窓口だからといって、何でもよくわかっているわけではありません。
向こうはこっちの声をひたすら聴いて、困っていることを把握しようとします。
落ち着かせ、孤立させまいと注意しているのかもしれません。
すぐにどうにかしてもらおうと躍起になるよりも、次第に話を聞いてもらうことが大事なんだと知りました。
めげないで、あきらめないで、何回も話をすることは、けっして無駄じゃないんです。
無知は不親切に見えることがある
相談窓口にいる人も同じ人間です。怒りっぽくてせっかちな人がいても不思議ではありません。
ビジネスライクで冷たい印象の人がいるかもしれません。
事情や状況はひとりひとり違いますし、困っていることも異なります。
たとえ専門知識を学んでいる人でも、現場では知らないわからないことがいっぱいあって当然です。
それで配慮が行き届かないこともあるかもしれない。
不親切というより、無知からくるトラブルですね。
とはいえ、相談者の気持ちに寄り添う仕事ならば、余裕のない相談者には、思いやりを持って接してほしいところなんですが、中にはそういうことに気がつかない人もいるかもしれません。わたしも気が利かないほうなので、わからなくもないです。
でも、必要以上に期待しなければ、がっかりしなくてすみます。
嫌な思いをさせようと、悪意を持ってしているわけではなく、ただ無知なのだと思えば腹も立ちません。
お互いにできる努力をしないと動かない
助けを求めるほうも、また手助けしようとする側も、互いにできる努力をし合って、ようやく前に進み出します。
うちの子も、いろんな人と何回も話し合い、連携し合って支えられています。
「役に立たない」とか「努力不足」と言い合ってるうちは何も始まりません。
話し合いを重ねるのは難しく、不満を言うのは簡単。
助けを求めるためにできることをして、必要な助けを見い出しながらできることをする。
両方動いてはじめて進む。
だからまず話を聞いてもらうことは無駄じゃない。
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