断捨離とかミニマリストがもてはやされるようになって、いざわたしも身の回りを片づけて暮らしを縮小させようとすると、なんだかとっても難しい。
どうしてかと考えてみたら、今生きてるこの社会、拡大するしか知らない資本社会だからなのだわ。
下り坂をじょうずにやり過ごす方法、まだ誰も知らないのかも
どんなものごともいいときもあれば悪いときもある波動を描く。
ところが経済は戦争や災害、恐慌なんかでドーンと落ちる以外、どういうわけか上り詰めることしか考えない。必ず来る下り坂を緩やかにやり過ごす方法を考えないのは、いつか上がると考えなしに信じ、ただ下がり続ける株を持ち続ける損切できない投資家みたいだ。
年をとれば若いときと同じ調子では暮らせない。それと同じで日本の社会もしばらくは高齢化で人口も減少する。下げ調子になるのは明白なのに、どうもその自覚がない。
経済だけはこれまで以上に成長していかないことには借金は膨らむ一方だし、下がるわけにはいかないというところか。気持ちはわからないでもない。
個人的にいくら暮らしを小さくしようと思っても、お金を使わないと暮らしていけない仕組みができあがってしまっていて、それが自分の首を締めてる感じ。
「逆らわず、従わず、あてにしない」しなやかな強さを持ちたい
ひとりでは人間暮らしていけませんから、社会も大切です。
無数のハラスメントやら耐え難い理不尽があったとしても、社会を避けて通ることはできません。
個人は社会に立ち向かえないし、無視もできないのが現実です。
だけどここであきらめて思考停止しないことが個人にできる唯一のこと。そうでないと、とんでもない大きな力や流れに簡単に洗脳されて、みょうちくりんな社会で結局ひどい目に合うのは個人なのだ。
個人は社会に逆らえないけれど、どうすればいいかを考えることはできる。ひとりひとり、わからないなりに考えるって大事ではないかと思う。
おそらく日本はそのうち高齢者だらけになって、これまでのようにものごとがうまくいかないようになるのは何となく想像できます。もしかしたら外国人労働者に依存するようになって、それはそれでもめごとが増える可能性も考えられます。
外国人労働者に依存するのを避けようとして、ロボット開発に力を入れるも時遅く、人材や資金不足で頓挫する可能性も大きい。
追い詰められて、やっと経済成長はとりあえずいったんお休みし、下り坂を乗り切る方向に舵を切ることを祈りたいところだけど、その頃にはもうそんな悠長なことを考える余裕もなくなって、結局考えなしに何が何でも経済成長してこの苦境を乗り切ろうなどと無茶なことを考えそうだからコワイ。
贅沢は言わない。せめて平和でありますように。
わたしはただ、なるべくお金を使わない暮らし方を追求し、寿命までなるべく元気でいられるよう努めるだけです。
読んでみたい本
縮小社会への道―原発も経済成長もいらない幸福な社会を目指して (B&Tブックス)
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