春は片づけをしたくなる季節。
でも、このところ何をするのもはかどらない。理由は探し物に追われ、何をしていたのかわからなくなるからだ。以前からそういう傾向はあったのだが、なんだかこのところ、そういうのが増えてきた気がする。
定位置を決めろというけれど
片づけの鉄則は、モノの位置を決めることだ。どんな名人もどんな本にもかならずそうある。なるほどそのとおりだ。しかし、片付けられない者から言わせてもらうと、それが難しいから困っている。
まず、モノの位置を決めるには、そこにある邪魔なモノをどうにかしなければならぬ。つまり、多過ぎるモノは捨てるなりどかすなりしなければならない。それがすぐにできなくて、適当にそこかしこに避難させているうちに、どこにあるのか忘れてしまうのだ。捨ててしまったかどうかさえ不明なこともよくある。
あるはずだと思い込んでいたモノがそこにないときほどもやもやすることはない。ほかのことが手につかなくなるほど探し回ってしまうのだ。そのうち何をしようとしていたのかわからなくなる。気もそぞろであちこち探し回るようすを見て、配偶者は認知症ではないかと心配している。わたしもあまり自信がない。
だからこそ少しでもわかりやすく、少しでも忘れにくいように片付けたいとちょっと本気であせってきた。残り時間が少なくなってきているように思うからだ。
モノの位置を決めるには、そもそもモノの量が適正でなければならない。しかしそれは、ほぼ片付いている状態ということではないだろうか。ちょうどいいモノの量にしようとがんばっている段階では、なかなかモノの位置は決まらない。だから探しものはなくならない……。仮置きの箱を作ればいいというけれど、あちこち仮置きだらけになるような状況では、やはり収拾がつかない。
確かこんまりさんは述べていた。お祭りのように一気に片付けたほうがいいと。あれはある意味正しいのだ。引き出し一つずつ片づけても、らちが明かない。
片づけは簡単じゃないとつくづく思い知るこの頃である。
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