コロナ後の働き方妄想

corona hatarakikata

人との接触を8割減にしないといけないらしい。よくわからない数値である。

おかげで不要不急といわれる通勤ができなくなった。

一方でエッセンシャルワークといわれる生活や健康に欠かせない仕事についている人は過酷を極めている。

わたしの実感では、ほとんどの仕事はエッセンシャルワークに属するものだと思うのだが。ただ感染防止が困難で、感染拡大のおそれが大きいために、休業を余儀なくされているだけである。

コロナを機に、仕事の無駄を省いてくふうするようになるのは素晴らしい。でもリモート化すればいいという話ではないように思う。

自粛疲れは贅沢?

「ステイホーム」にうんざりしている人も多い。

でも多忙を極めている現場で働く人からすると「頼むからありがたくステイホームしていろ。」と思う。

自粛疲れなどと言うのは、安全にこもっていられる富裕層の贅沢だなどという人もいる。

まあ、そういううらやましい人もいるだろうけど、自粛疲れのほんとの原因は、不安がもたらす不健康だ。わたしはもともとおこもり主婦だが、それでもコロナの自粛には憂鬱になる。いつまで家計が持つかしら? 感染したらどうなるんだろ? 次々不安がつのってくるからだ。

子どものいる家庭や介護家庭、高齢者の一人暮らしなどの自粛疲れはさらに深刻かもしれない。

わけのわからない自粛でしか、今はコロナの感染拡大を抑えるすべがないのだからもどかしい。

お金のために働く時代は終わる?

むちゃくちゃ忙しい現場がある一方で、働きたくても働けない人が自粛させられている。

どうにかならないものか。

単純に足りないところに人を送ればいいという問題ではない。人には仕事を自由に選択する権利がある。それに人が足りない現場も、いずれは少ない人で効率よく回るシステムができて、そのうち人はいらなくなるからだ。

機械に仕事を奪われることに危機感を募らせる人も少なくない。

機械ができないような能力や技術を身につけなければ、人は働けなくなるのだろうか?

確かに失業する人は出てくるだろう。でも、わたしは仕事がなくなるとは思えない。生きてる限りエッセンシャルワークはなくならない。そのすべてが都合よく機械化されるなんて考えられない。

仕事の多くは、機械がどんどん代わりにしてくれるようになるだろう。だからといって、そのすべてが機械にとって代わる未来は現実的ではない。なぜなら、人の暮らしには儲からないめんどくさい仕事がいっぱいあって、そういうところにわざわざ投資して機械化する人はいないからだ。

儲かる仕事は機械化されて、儲からないめんどくさい文化芸術とか福祉的な仕事に人は集中できるようになるのだ。まんざら悪いことではない。

こうなると、機械を持つ資本家と儲からない仕事をする人との間で、ますます経済格差が生じそうだ。しかし、経済格差が今ほど社会問題になるかどうかはわからない。

大量消費を通じて喜びを得るという生き方は見直され、人々が内面に向かう方向へ文化が変わるのではないでしょうか。「楽しみ」の中身が変わるのです。(朝日新聞 佐藤優 私のおこもり術より)

不思議なもので、これほどの資本社会にいても、人はときどき一銭の得にもならない仕事に生きがいを感じることがある。効率とか生産性だけでは満たされない理解できない、自然の営みに属する生命体だからかもしれない。

カズレーザーさんはお金のために働くのは苦手だという。

カズレーザーの魅力

コロナの影響で、施設の母親と面会できなくなることを懸念して、仕事を辞め、認知症の母親を施設から引き取り、自ら介護することを決断した人が紹介されていた。

自粛で営業できない飲食店がステイホームの子どもたちに弁当を宅配するといった儲からない仕事をしている例も後を絶たない。

コロナ後は、お金儲けに特化した働き方の意識を変えることになるかもしれない。

わたしはそこに明るい未来を期待している。

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