わたしはほとんどの時間をうちでひとりで過ごし、友人も少なく、他人との交流もめったにありません。
多少人見知りなところはありますが、初対面の人や人前でどうしても話ができないということはないですし、いざというときには助けを求めることもできると思っているので、わたしとしてはとくに困っているつもりはないんです。
世間ではコミュニケーション能力の高さが求められてるみたいですが、社交的で友だちが多いことが能力者のように言われてるのが気になってます。
自分に無理のないコミュニケーション範囲や方法を知ることのほうが有効です。
人との距離感はみな違う
コミュニケーションや人間関係で難しいと思うのは、人との距離感がみなそれぞれ違うからです。みな違うってことは頭ではわかっているんですが、実際はそんなこと忘れて、みな自分と同じように思っていると勘違いしがちなんですよね。
コミュニケーション能力というのは、自分はだいたいどれぐらいの距離感が快適かを自覚し、距離感の異なる相手とのコミュニケーションをコントロールする力のことではないでしょうか。
距離感は相手によっても状況によってもたえず揺らぎ悩むものです。
もっと近づきたいと思うこともあれば、会うのがおっくうになることもあります。近づきたいのに近づけないもどかしさを感じることもあります。相手に嫌われたのではないかと眠れなくなることもあります。
ひとつひとつ学習してるんですね。だから機会の多い人ほどコミュニケーション能力が高くなる傾向はあると思います。
コミュニケーションの思い悩みは、たいていの場合相手の問題というよりは自分の都合なんですね。だから自分の気持ち次第でコントロールできることが少なくないんです。
こんなわたしでも、ふと気づけば好感を持たれたがってるふしがあります。あわよくば、うらやましがられもしたいし尊敬もされたいなどと思っている。
こういう欲が大きくなってくるとろくなことがない。わたしの場合はそうなると無理がたたってしんどくなるのが落ちなんです。ちょっとぐらい褒められても割に合わない。
でもこういう無理がパワーになって頑張れる人もいます。だから何とも言えない。
自分のちょうどいいさじ加減を知ることが大切なんです。
友達100人作って、毎日何かしらのコミュニケーション活動をしていることがコミュニケーション能力の高さではないと思うんです。自分が輝けるステージや自分がラクにふるまえる土俵で快適にコミュニケーションできればじゅうぶんじゃないでしょうか。
わたしのコミュニケーション範囲はかなり狭いです。来るものは特に拒むつもりはないですが、自ら開拓に乗り出すこともしてません。だけど目の前の人には誠実に接することを心がけてます。だからと言って必要以上に親しくなることもありません。
若い時から誰かといるよりひとりで好きなように過ごすほうが気楽で好きなんですね。
だからって人嫌いというわけでもないし、誰の世話にもならずに生きたい、などと思っているわけでもないんですよ。
これがわたしが機嫌よくいられるちょうどいいコミュニケーションなんですね。コントロールできているという意味で、自分ではこれでもコミュニケーション能力あると思ってるんです。
これからも孤立しない程度に社会と関わり、無理のない範囲で人と接していきたい。
こんな人もいるんで、コミュニケーション能力が低いからってへこむことないですよ。
だいたいコミュニケーション能力がない人なんていないでしょ……。
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