人のコミュニケーション(意思疎通)が難しい3つの理由

communication

人間らしい能力は読解力なんだとか。

人が書いたものを理解する力が備わっているという人間ですが、人間どうしの意思疎通、ほかの生き物よりうまくできているとは言い難いような。

人どうしのコミュニケーション、案外むずかしいって思いません?

公私の区別って

人と意思疎通するとき、私的なことと公的なことを意識的に、あるいは無意識に分別しますよね。

これ、相当高度な能力ですよ。

うっかり私的なことを場違いなところで発言したり、逆に相手の個人的なことに踏み込み過ぎたりして、気まずいだけでなく、縁が切れてしまうなんてこともなくはない。

なのにこの公私の区別、けっこういい加減であいまい。

家族とか親友とか恋人とか、近くて親しいつもりでいる間柄ほど案外わかりにくく、暴走していることに気づかないケースも。

どんなに近く、親しい人も自分とは違う他人である以上、公私混同には配慮しないといけない。『親しき中にも礼儀あり』ってやつですね。

ところがその加減、人によって、場合によっても変わるからむずかしい。

失敗したら「ごめんなさい」と挽回できる関係に努めるよりほかに方法が思いつかないけど、それがまたかなり高度なコミュニケーション能力かも。

対等じゃないことのほうが多い

最近はハラスメントがうるさく言われるようになったけど、対等な関係というのがそもそもめずらしいレアケースな気がする。

夫婦間、親子間はもちろん、同僚やクラスメートの間にも微妙なパワーバランスがあったりしませんか?

わたしも母親になったとき、子どもに対して圧倒的な権力を持っていることにしばらく気づかなかった。

強い立場にあるときほど、自分は対等で平等だと思いたがるけど、世の中は対等で平等なところなんてない気がする。競争社会ですから。

お金や地位があればそれがない人より強いし、力持ちは力がない人より強い。一般的に高齢者や子どもは弱い。世の中対等でないことのほうが多い。

対等なら意思疎通できるとも限らないけど、対等でないことは意思疎通を困難にしているのも確か。

相性ばかりはどうしようもない

昔からふしぎでしようがない。

好きとか嫌いとか、相性がいいとか気が合うとか、そういうのがあるのはわかっているんだけど、その正体がつかめない。

家族だから自分の子どもだからといって、気が合うとは限らない。

気が合わない人とは距離をおけばいいなんていうけど、職場や同居の家族だと、そういうわけにもいかないことが多々ある。

ほかの動物たちはどうしてるのかな。

社会の中で人が人と意思疎通しながら暮らしていくというのは、そんなこんなで簡単じゃないけど、少しでも愉快に過ごすために、読解力を養って、自分なりの意思疎通術を磨くしかない。

読解力が養える、読書作文教室@みのりは無料体験受付中。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください