アーミッシュに憧れる3つの理由

amish-akogare

ときどきアーミッシュの人たちの暮らしがテレビで紹介されるたび心惹かれてます。

みなさんはご存知ですか?

アーミッシュの暮らしDown to Earth』というブログがとても参考になるのでよろしかったらご覧ください。

子どもの頃、大好きだった『大草原の小さな家』を思い出すからでしょうか。

ほんとにこのおとぎ話のような奇跡の人たちが実在してるってことに、なんか救われてます。

本物シンプルナチュラルアーミッシュライフに唖然

かわいいお揃いのワンピースあたりまでは何とか共感できても、アーミッシュの暮らしが本気でできる日本人はいないかも。

コミュニティごとにルールに幅はあるみたいなんですが、基本的に家電や車といった便利なモノは使わない、ほぼ自給自足の生活。

でもこれ、ある意味最強だと最近つくづく思います。

停電とか景気とか老後とか、そういう心配はいらなそう。

どんなに世の中が変化しても、どんな非常時に合っても、淡々と暮らしを立て直し、ぶれない日常を取り戻せる丈夫さを感じる。

アーミッシュは自分の居場所に困らない

これだけ特異な暮らしを維持するために、アーミッシュには厳格なルールがある。

車や家電利用など細かな差異は問題じゃない。

一番重要なところは結婚ではないかと思う。

アーミッシュはアーミッシュと結婚しなければアーミッシュではいられない。

アーミッシュの子どもたちは、成人になったら自らアーミッシュになるか、ならないかを選択します。

未婚なら、そのまま未洗礼のままアーミッシュの家族と暮らすこともできるのかもしれないけど、アーミッシュでない人と結婚する場合、相手もアーミッシュになるか、アーミッシュの家族と生涯縁を切るという過酷な二者択一を迫られる。

そんなわけでアーミッシュの子どもの8割以上がアーミッシュになるとか。

アーミッシュの暮らしは家族や地域との相互扶助によるものなので絆が深いのだ。子どものときからおとなの手伝いをし、助け合って生きる。

そうしないと暮らせないから。

その代わり、ひとりになれない悩みはあっても、おそらく孤独で悩むことはない。

はじめから必要とされている存在だから、自分の居場所を躍起になって見つける必要もない。

アーミッシュは争わないにもほどがある

平和主義とか非暴力主義というのはわかるけど、アーミッシュは訴訟も起こさないというから大したもの。

銃乱射事件でアーミッシュの学校が襲われたときも、アーミッシュは訴訟を起こさなかっただけでなく、加害者を許したというからびっくりする。

わたしが見た番組でも、コミュニティにスマホを使う違反者がいることを知ったアーミッシュたち、違反者を抗議するかと思いきや、自分たちが別のアーミッシュのコミュニティに引っ越してしまったんです。

テクノロジーをどれくらい利用するかについては、アーミッシュによって多様化してきており、車や家電を使う人たちもいるようですが、そういう違いで争うことはないんですね。

こんな平和主義でだいじょうぶかと思うけど、先の『アーミッシュの暮らしDown to Earth』によると、アーミッシュの人口は、実際には増え続けているんだとか。

外から来る人は、半分以上が脱落してしまうらしいんですが、戦争や貧困といった社会問題が解決しない現代社会から脱出したいという人は、これからも減ることはない気がします。

そしてアーミッシュの暮らしは、そうした人たちの受け皿やお手本のひとつとしてあり続けるように思います。

こうしてアーミッシュが増え続けている一方、テクノロジーを活用して便利に暮らす日本人は、少子化で人口が減り続けているというのは皮肉。

アーミッシュの暮らしと日本の暮らし、どっちに無理があるのか、考えさせられます。

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