栄養をとるにも人づきあいするにも働くにも、すべてはバランス問題に行き着く。
ところが、バランスよく食べるのもワークライフバランスをとるのも、人間は得意じゃないというか、どちらかと言えば下手な気がする。
それはどうしてか? 知っていると、バランスとるのに役立つかも。
意識と感覚のバランス問題
考えるより先に動き出す人や思慮深い人がいるように、ヒトには意識と感覚の両方がある。
さらにややこしいのが言葉だ。「痛い」といってしまうと、あらゆるすべての痛みが同じになる。
個別的にはみな違うんだけれど、とりあえず同じグループに分類しようとするはたらきがあるようだ。
分類して同じにしたほうが都合がいいこともあるが、しっくりこない微妙な違和感を覚えることもある。頭とからだ、理性と感情、交感神経と副交感神経、善玉菌と悪玉菌、どっちが優勢になり過ぎても具合が悪い。そういうバランス関係がありとあらゆるところにある。
人気の健康法や健康食品が「自分には合わなくて残念」だったり、巷で人気の俳優やドラマが自分はそれほど好きじゃなかったりするのは、ひとりひとりがそれぞれ異なる意識と感覚の両方を持っているからだ。
そこにさらに社会的な外圧が加わって、複雑なバランス調整を強いられるから話はややこしい。
こうなると、どうすることがよいバランスなのか、さっぱりわからなくなる。
その場しのぎの対応に追われては悩む。
意識と感覚と社会について興味のある方におすすめな本
長いものに巻かれっぱなし問題
「長いものには巻かれろ」ということわざがある。逆らいようのない強大な力には、黙って従ったほうが得策という意味だ。
しかし、巻かれるにも従うにも程度がある。
長いものに巻かれ過ぎてバランスを失うことも珍しくない。
逆らわずとも、その長いものが突然、自分に牙をむいてこないとも限らない。とかげのしっぽ切りのように、ある日突然、裏切られるかもしれない。安泰だと思っていた強大な力が滅びるなんてこともないとはいえない。長いものが悪事をはたらいて、その片棒を担ぐことだってあるかもしれない。
わたしが若い頃、安泰だと思っていた企業や制度で現在も健在なのはどれくらいあるだろうか。
でも、そんな嫌なことは考えないようにするのがヒトの常。なぜならヒトは得体の知れない変化を恐れるからだ。だから逃げる備えを怠らないことはむずかしいのだ。
変化を見ようとせずにバランスよい暮らしはできない。
極端・かんたん・シンプルの洗脳攻撃
かんたんでわかりやすいハウツー本が人気である。
わたしも「これだけ」「かんたん」が大好き。
でもどんなにシンプルな方法でも、続けていくには、やっぱりそれなりにくふうが必要で、そのままってわけにはいかない。
ストレッチも家計簿も、長年続いているのは自分で試行錯誤したものだけだ。
極端なキャッチフレーズは、ただわかりやすくアピールするためのもの。鵜呑みにしてはいけない。
とわかっていても、どんなふうに自分の中に取り込めばバランスがいいか、などと悠長に考える暇はない。
次々流行りの健康法に健康食品、話題の思考や働き方、極端でかんたんシンプル魅力的な攻撃にさらされて、わたしはあっさりすっかり洗脳されるのだ。
バランスよく暮らすってどういうこと?
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