あいまい耐性

aimaitaisei

哲学の技法』というのを読んでいて、自分は西洋の人より言葉に依存していないところがあると知った。それがまさか生まれ育った東洋日本の影響だとは考えもしなかった。

日本人は西洋文化にあこがれ、真似をしたくなるけれど、それがなかなか身につかない。最近は「科学的論拠がない」といった批判が人気である。科学的論拠とは何かと思えば、どうやら数字のデータのことらしい。それがどこからどんなふうに算出されたものかが不明でも、具体的な数値が羅列されていればそれだけで、何だかよくわからないが科学的論拠がありそうに思ってしまうのだから頼りない。

「理論的」などというが、言葉ほどいい加減でどうにでもなるものはない。だからこそ深くておもしろい。だけど言葉には限界がある。どうしても言葉にできないものごとがあるからだ。

言葉のいい加減さを知っている

ものすごくざっくりいうと、西洋は言葉でとことん説明を尽くそうとする傾向があるのに比べ、東洋は言葉では言い表せない部分の存在を認めているのだという。

そんなふうに意識したことなんてなかった。言葉で表現できないものごとがあるのはあたりまえだと思っていたが、そんなふうに考えない人たちもいるのだなあとちょっとびっくりした。

だからといって、西洋の人たちがものごとのすべてを言葉で表現しているわけではない。「私は嘘つきです」みたいな矛盾を見つけられたのは、言葉をとことん追求したからこそ発見できたように思う。

ともかく、わたしはどういうわけかはじめから、言葉には限界があると思ってきた。だから言葉以外の世界をおろそかにしてはいけないと考えている。だからといって、もちろん言葉を軽視しているわけではない。いい加減だからこそ大切にしたい。

異文化の価値観に学ぶコツ

『哲学の技法』を読みながら、世界の哲学を比べていたら、こんなにも違っていて、分かり合えるのだろうかと心配になった。同じ日本人、家族であっても、分かり合うのはむずかしい。

ところが、著者は次のような記述で励ましてくれている。

異文化の価値観に学ぶこつは、ミキシングの作業に喩えるとわかりやすい。ミキシングでは、プロデューサーが楽器別に録音をして、それらのトラックを別々のチャンネルで再生する。ミキサーに並んだつまみを上げたり下げたりすることで、各トラックの音量が上げられたり、下げられたりする。

さいわい世界じゅうどこでも、価値観チャンネルの種類はほぼ変わらないという。たとえば公平さ、社会、調和、神、帰属など。異なるのは、何にどの程度重きを置くかという調整である。

すべてのチャンネルを最大にすることはできない。中には対立するものがあるからだ。どちらか一方を強くすれば、もう一方が犠牲になって、ほとんど消えてしまうことがある。たとえば個人に重点をおくと、社会や神と対立することになるといった具合。

みな平和で幸せになる正しい答えがどこかに一つだけあったら、どんなに簡単で楽だろうと思う。でも、そんなものはどこにもない。あると思うほうがコワいかもしれない。

たぶんきっと、懸命に都度調整し続けるのが人生なのだ。

今こそ「あいまい耐性」持ちたい。

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