なるべく「お金を使わない生活」をしようと思い始めたときは、ただただ節約することでしかなかった。
お金がないから仕方なく節約するという感じだったので、ときには窮屈だったりみじめに感じることも。
ところがこの頃は慣れてきたのか、それとも年のせいなのか、以前より前向きに「お金を使わない生活」に臨めている。
お金がない不安より「お金を使わないと生きていけない生活」に息苦しさや疑問を感じるようになってきたからかも。
- お金さえあれば解決する?
- お金が足りないことが問題?
- お金を過信してない?
人手不足はお金で解決しない。
わたしは結局、収入を増やすことよりも家事を選んできたのかもしれません。
こんなことを言うと、家事を完璧にこなしているように思われるかもしれないけれど、そういうことではなくて、家事するだけで手がいっぱいで、勤めるなんてとてもできなかったというのが正直な話。
子どもに向き合う時間もほしかった。
その一方で働きたい、稼ぎたいと思わない日はなかった。
でもこれ以上時間に余裕がなくなると、きっとかえって家族に迷惑をかける。
そんなところでいつも落ち着いてきたように思う。
働いて家計に貢献する能力がないことについては、今も劣等感がある。
とはいえ、お金を稼ぐために拘束されたであろう多くの時間を家庭運営に過ごせたことは、思えば幸せで有意義な時間だった。
経済的にも食費・被服費・交際費・医療費の節減になった可能性もないではない。
育児や介護に限らず、生活には何するでもない人の手が必要なんですよね。
そしてそうした人手は、たいていお金にならないというか、お金とは関係のないところで必要になる。
人の暮らしにお金は不可欠だけど、お金に換算できない部分が生じるのも事実。
ところがそうした人手も今はお金で買えるようになってしまった。
その人手がだんだん不足してきている。
何もかもお金で解決しようとする便利な仕組みは、人が人を育てたり、人が人と関わる余裕を奪い、人手不足を助長している。
お金では人手不足は解決しないのではないかしら。
お金がないなら使わない選択
生活するにはお金が必要。
でも、生活はお金で解決できることばかりじゃない。
かつてお金で買えなかったものまでお金で買えるようになったのなら、買わずにすむものごとも探せばあるはず。
生活スタイルや環境に合わせて、お金の投入先にメリハリをつけるのも有効な方法。
うちは健康維持に一番お金をかける。
被服費はかなり控えめ。
娯楽はそれぞれお小遣いの範囲内で楽しむ。
家族旅行はもちろん、最近は外食もしないけれど、とくに我慢しているわけでもない。
お金を使わなくてもそれなりに楽しく過ごせている。
子どもも大きくなり、わたしたち夫婦も年をとったからかもしれない。
今さら人と比べて無理をするよりラクに暮らすのが一番。
ところで、わたしが所属している作文教室では、保護者に対話や読書の時間を持つことをすすめている。
自学自習する子どもを見守り、励ましたりほめたりする時間を持つことは、どんないい塾に行かせるよりも教育的効果があるからです。それに保護者が子どもと関われるのは、ほんの一時期に過ぎません。
たとえ一時期働く時間が減って収入が少なくなっても、子どもと向き合う時間をとることで塾代を節約し、子どもの学力が伸ばせるかもしれないという一例。
「お金で買えないものはない」「お金がないと何もできない」と錯覚してしまう今の時代だからこそ、生活の中にはお金がなくてもできることがあり、お金を使わない選択もあることを忘れないでいたい。
生活はお金がない時代からずっと人と関わることで成立し、営まれてきたことを思い出す日々です。
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