競争社会から抜けて生きる道もある

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世の中何をするのも競争って感じです。自由競争で切磋琢磨するのは悪いことじゃないとは思うんですよ。

だけどわたしは競争するのが好きじゃない。

勝てる気がしない

負けるとわかっているのに、わざわざ競争に参加したくないというのが一つあります。

これってある意味、負けたくないという負けん気が強いと言えなくもない強気な感じもするし、ただの「ええかっこしい」みたいにとられるかもしれませんね。まあ、そういうところがまったくないか、と言われたら、ちょっとはあるのかもしれないけれど、そんな今さらかっこつけたいつもりはないんです。

たいてい競争率とか場の雰囲気とか、いろんなことを考える間に、腰が引けるというか、とても勝てる気がしないだけなんですよね。

「やってみないとわからない」とか「参加することに意義がある」といった意見もわからないではないのだけれど、わたしとしては、競争は勝ちに行く努力をした人が参加するものだと思っているので、勝てそうにないと思って何も動こうとしないような自分に、参加する意味はないと思うのです。

競争からは何も生まれない?

大好きなほぼ日の糸井さん、「競争からは何も生まれない」というようなことを述べていたことがあったんです。(間違ってたらごめんなさい。)だけどわたし、それがとてもうれしかった。

わたし自身、とってもずるい考えで、「競争から何も生まれない」とまでは思わないんですが、ただ好みじゃないんですよね。

誰もかれもが同じ競争に参加しなくてもいいんじゃないか、と思うわけです。

勝てそうな土俵を見つけて戦うという選択もありますよね。まったく他人と競争しない生き方もあります。それはそれで自分との闘いみたいなところがあって、ラクとはいえないかもしれませんけど。

それなのにみんながみんな、巻き込まれるようにして同じ競争に参加せざるを得ないような感じが何だか嫌なんですよね。もちろん参加したい人は参加すればいいんですよ。だけども少し不参加表明がしやすいといいのにって思う。

なんか知らないうちに、半強制的というか、参加するのがあたりまえになってるようなとこないですか? もし参加しなければ、社会から取り残されてしまうようなコワさを感じてる人も少なくないような気がします。

わたしもね、じつは子どもが不登校になったとき、社会からえらく孤立した気分になって、「もう終わった」感に襲われたことがあるんですよ……。でもそれ、まったくの勘違いでした。

だって社会って一つじゃないですから。

人と必要以上に比べないほうがいいときもあるんですよね。

その代わり、自分にできることを精一杯やる。そういうことができる世の中、ちょっと素敵です。

なんて、自宅にこもっていられる主婦だから言えることかもしれません。

だけどもしも今、競争社会で苦しんでるなら、抜け道はいくらでもあるということ、忘れないでくださいね。

読んでみたい本

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