結婚当初、家事は好きとか嫌いとかいうものではなく、誰かがやらないといけない雑用だった。
若いときは、外で働いて自分の収入を持つというのに憧れていて、そうすると、雑用である家事がわずらわしく、邪魔なもののように思えたものだ。
家事も立派な仕事である。そう言いながら、お金を儲けるのが仕事であって、儲からないことは仕事ではない。そういう思い込みから逃れられないでいるのはわたし自身だったのだ。
家事こそ仕事
「家事なんて、やれば誰でもできるようになる」
母はそう言って、あまり子どもに手伝いをさせない人だった。そのおかげで、勉強や好きなことを優先してできたのも事実である。母自身、早くに父を亡くし、母子家庭で手伝いばかりさせられてきた不満を我が子にはさせたくなかったようだ。
そのせいもあって、わたしはまともに家事ができないまま結婚した。家事など誰でもできる雑用となめていたわたしがその後、さんざん苦労することになったのは言うまでもない。
そうこうしている間に、誰もかれもがお金を稼ぐ仕事につかねば家計が成り立たない世の中になっていった。キャリアがどうのこうのなんて言ってられない。とにかく稼がねばならなくなってきている。
そんな中、やればやるほど底なし沼のように奥深い家事のさじ加減を知るのは非常に難しい。だから今なお模索中なのだ。
家事はできればきちんと丁寧にしたい。そのほうが快適に暮らせるからだ。でも、そんなことをしていたら、ほかのことは何もできなくなる。あれよあれよという間に家族や環境が変化するにつれ家事も移り変わり、わたしも年をとった。
どうすれば気持ちよく楽しく暮らせるだろうか。
持ち物を減らせば家事がラクになる。そう考えて、憧れのミニマリストにならって断捨離に励んでみたり、おしゃれな生活道具にこだわってみたり、今も迷走中だ。
でも、一つわかったことがある。
暮らしの雑用である家事こそ生きるための仕事そのものではないか。
適当に横着したり、機械やプロに任せるも自由だが、家事はお金儲けの仕事にとって代わるものではない。生涯ついて回る大事な避けられない仕事なのだ。
家事は人生
最近知った「OKUDAIRA BACE」は、家事を楽しみ、いそしむ20代男性の暮らしを記録した人気動画である。
彼は、就職して仕事をすると、日々の食事やそのほかの家事がおろそかになってしまうのが嫌だなぁと考えていたという。家事を大切にした暮らしぶりを動画に記録することで、結果的に収入を得られるようになった、うらやましい人なのだ。
過去にも家事の達人のような人はいた。きれいに片付いた住まいにお気に入りの道具を揃え、うらやましいほど素敵な暮らしぶりには憧れるばかりである。
でも、経済的な事情が違うとか、才能がないとか、いろんな言い訳をして、結局自分にはできない、と結論づけ、妬んでおしまいの繰り返しだった。我ながらつまらないと思う。
そのわりに、そうした素敵な暮らしぶりを見るのが大好きなんだからわからないものである。
アイドルの髪形を真似したくなるのと同じだろうか。恥を忍んで聖子ちゃんカットをしてみたものの、聖子ちゃんには似ても似つかず、エルメスのスカーフやバッグがあれば素敵になれると思い込むも、手が届かなかったことを思い出す。
容姿とかお金とか、どうにもならないことでずいぶん悩んできた。今なお悩む。
それでも日々の暮らしを整えることに工夫し、心を配り、素敵な暮らしを実現している人々を見るのは相変わらず大好きだ。年をとって昔ほどひがまずに素直に楽しめるようになったかもしれない。
中でも石黒智子氏はとても真似できないながら、いろいろな面で影響を受けてきた大好きな人である。
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以前より無理や加減が徐々にわかってきたのか、ほかの人の素敵なライフスタイルを見るのが素直に楽しいしおもしろい。
我慢してエルメス風に妥協してみじめになる、なんてことがなくなったからかもしれない。自分なりのエルメス風をひねり出すおもしろさを知ったせいもある。「できることを見つけて行う」ということなのだが、これは一種清々しいあきらめと言えなくもない。
あきらめないことも大事だが、人生あきらめが必要なこともある。無理をして似合わない聖子ちゃんカットにこだわらなくてもいいし、借金してまで本物のエルメスを持つ必要はないのである。
格差や違いに注目し、公平でないことを訴えることも大事である。しかし、それでできないことばかりに気をとられ、身動きできなくなるのは残念だし、おもしろくない。
実際には、それぞれ、今あるものでできることがあるからだ。
素敵な暮らしぶりをしている人々を参考に、自分なりの家事仕事を極めたい。
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