起業するにも就職するにも、自分のことを知ってもらわなければ仕事につながらない。履歴書や経歴書、プロフィールのほか、最近は作品集などのポートフォリオを求められる場合もある。
文章を書くのは困らないほうなのだが、若い頃からわたしは自己PRが大の苦手だった。なぜなら「実物より盛りがちに、かつ前向きな人物」を表現しないといけないからだ。商品の宣伝もろくにできないのに、自分を売り込むなんてとんでもない。
【自己PR】自分をよく見せようとするとかえって自信を失う。
自己PRが苦手だというわたしのようなタイプほど、じつは少しでも自分をよく見せようとする失敗をしでかしやすい。仕事をまかせるからには、自信なさげな人より自信満々な人のほうがいいし、後ろ向きな人より前向きな人のほうが頼もしいとわかっているからである。
実物よりよく見せたいと思っているのは、誰でもない自分であって、そうしなければ受け入れてもらえない、と自分が思っていることに気づいてないのがこのタイプ。ここにはっきりと自信のなさがあらわれている。
それで、嘘にならない程度につい盛った表現をしていくうちに、なんか自分とは違う人物像になっていって、何とも嫌な気持ちになってしまうのだ。
自分をよく見せたいと思う気持ちは誰にでもあるものだが、気持ちが悪くなるほど無理をしてはいけない。
【自己PR】事実を書くときに気をつけたいこと
事実と言うのは、第三者が検証できるものごとのこと。たとえば資格とか卒業した学校とか作品や受賞歴。どういう会社でどんな仕事をしたといったことなど。
事実は嘘をつかない限り盛りようがないと思うかもしれないが、馬鹿みたいに全部書かずに選ぶことも大事だとか。学歴や受賞歴などをズラッと並べると、感心してくれる人もいれば嫌味に思う人もいるみたいだからだ。誰もが簡単にとれる資格や、無名大学の学歴なんかは書く必要がないというか、書かない方がいいという人もいる。
相手がどう思うかはわからないし、何ともしようがない。
自分が「こういう者です」と気持ちよく知らせられる内容にしたい。
【自己PR】体験エピソードを書くときに気をつけたいこと
わたしのように自慢できるような経歴がない場合、興味や趣味、考えを知ってもらい、人となりを表現することが重要になる。そこで魅力的で個性的な体験エピソードを披露したいところである。
だからといって、おもしろくて個性的であれば何でもいいというわけにはいかない。読み手に合わせて作ったようなよくある話もかえって印象を悪くする可能性もある。最近、詐欺師は苦労話が得意と聞いたおかげで、苦労したことも書きにくくなった。
受け手がどう思うかは、どんなに配慮してもコントロールすることはできない。それでも自分を知ってもらうためのエピソードは自分で選ぶことができるのだ。たとえ縁がないということになるとしても「これがわたしです」と堂々と伝えられるエピソードを添えたいものである。
よそ行きのアピールを続けていると、だんだん嫌になってきて、ありのままの駄目な自分でも「いいよ」って言ってくれないものかしら。これでもそこそこいいところもあるのよ、なんて甘いことを思っている。自分のことをうまく表現できず、ジッとしているだけのわたしを探し出して認めてほしい、などと思っているわたしは、つくづくいい年をして甘ちゃんなのである。
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