種類が多過ぎると売れないジャム

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選択枝は多いほどいいように思いがちですが、ジャムの種類を増やし過ぎて売れなくなった専門店の話を聞いたとき、何となくわかるような気がした覚えがあります。
二十種類だったか三十種類だったか、細かいことは忘れましたが、種類が一定数を超えると、全体の売り上げが落ちたというお話。

あまりにたくさんいろんなジャムがあると、客は迷って選べなくなるみたいです。おもしろいのは、買うことをやめてしまうことです。適当に選ぶことすらしなくなるというのだから興味深い。これがいわゆる思考停止というのかもしれません。

シンプル志向の落とし穴

ややこしいことを嫌い、かんたんでシンプルなものを好む傾向は、自分にも身に覚えがあります。

これが部屋の片づけや洋服の趣味についてなら、むしろすっきりして好ましいことかもしれません。ところがこのシンプル志向を何にでも応用したくなって、この頃ハッとすることがあります。

ヒトはめんどくさくて矛盾だらけの存在

本来ヒトも生き物も自然も、計り知れない複雑な存在です。だからこそシンプルなモデルに置き換えて、研究調査しているのだと思います。

ただそうこうしているうちに、複雑さや抱えている矛盾がいつの間にかないことになるんですよね。ふしぎなことに。非効率なものは無駄だから排除していくうちに、ほんとになくなってしまったわけではないのだけれど、思考の中からなくなってしまうみたいです。

それは身を守る方法の一つであるとは思います。ごちゃごちゃしたことをいつまでも考えたり、答えが見いだせない問題に向き合い続けるのはたいへんですから……。

とはいえ、あるものをないものにしても、やっぱりうまくいかない感じなんですよね。

今のおとなができること

最近読んだ本にとても腑に落ちたところがありました。

「人間とは自分が意思することとは、必ず違うことを実現してしまうような生きもの」であることを勘定に入れた思想が必要になる

今起きていることはわたしたちが意思し、望んできたことの結果として起きていることではないのかと考えるべきだ

『小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』より 平川克美著

たぶんおそらく、当時のおとなたちがよかれとがんばってきたことの結果が今の状態で、今のおとなも、やっぱりよかれと思ってがんばっていることに変わりないんだと思います。

実際には考えがまちまちなので「どこがよかれだよ」って言いたくなることだらけなんですが、選挙結果と同じように、何となくみんなの総意ということになっているよかれの方向に、何となく世の中が動いた結果が今なんだと思います。それは何だか誰が十円玉を動かしてるのかわからないこっくりさんに似ているといつも思います。

数十種類以上あるジャムからほしいものを選びとる試行錯誤さえ投げ出してしまうヒトのことです。よかれと思ってしたことが、どういうわけか必ず思いがけない結果を招くというのもありそうな話です。

日ごろからこうしたヒトの残念な癖を勘定に入れて考えることの大事さを思い知らされています。

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