なぜ作文するか?
ちょっといけてると思ったときは、さりげなく自慢したいと思うのはごく自然のことである。とくに好きな人にはほめてもらいたいし、誰かに認められたいと思わない人はいない。昨今のSNSの賑わいを見ていると、つくづく人間ってそういうものなんだなあと思う。
先日「作文はお手軽な自己表現」と書いたわたし自身、作文以外にこれといった表現方法を持たないので、作文は唯一身近な自己表現の手段になっている。誰かが読んでくれてるかもしれないブログを続けているのも、何かしらの期待のあらわれかと思うと恥ずかしいけれど。
あらためて、わたしはいったい何を期待しているのか考えてみた。
当初ブログは作文教室の仕事の一環だった。はじめてのことを学んだり書いたりするのはそれなりにおもしろかった。そのうち自分でアフィリエイトブログを始めるようになると、紹介する商品をたくさん売りたくて、たくさんの人に見てもらうために、検索順位を上げるSEOの勉強を頑張ったりもした。でも、すぐに嫌になってしまった。思うような成果が出せなかったからだろうか。
振り返ってみると、こうすれば順位が上がる、こうして稼げるようになった、といったノウハウを教える記事はおもしろくていっぱい読んだ。書いている人も楽しそう。まあほぼ自慢話なんだから楽しかろう。わたしもこういう成功談が早く書けるようになりたいって何度思ったかわからない。
そのうちどれも似たり寄ったりのエピソードなのに気がついて「ほんとかなあ」と真偽を疑う頃にはすっかり冷めてしまった。どうやら自慢話は営業トークらしい。アフィリエイター初心者をターゲットに、再現不能なあやしげなノウハウを高値で売りつける。それが成功者の姿であると気づいたときはがっかりした。かつて一世を風靡した「アムウェイ」のようなネットワークビジネスを連想した。またしても巻き込まれそうになっている自分に愕然とした。ビジネスとはこういうものをいうのか。真っ当なビジネスなど世の中にはあるんだろうか。疑心暗鬼にさいなまれ、しばらく立ち直れなかったなあ。
横道にそれた。なぜわたしは作文を書くのか? 何を期待しているのか?
それはやっぱり自分を表現したいからに尽きる。自分のことを書きたいのだ。儲けたい気持ちとか承認欲求も、突き詰めればそこに行き着く気がする。
そしてことばで考える自分の思考を整理するために書いているのだと思う。
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日記は儲からない?
アフィリエイトをするのに、日記なんか書いても儲からないとよく言われた。
確かに売りたい商品のことを紹介しないで今日のできごとばかり書いていては売れない。さらに有名人でもない一般人の日記など、誰も読まないという。なるほどそうかもしれない。
しかし、他人の日記を覗き見るのは案外おもしろいものではないか。ただ、ビジネス的には効率が悪かろうという意味で、日記は駄目とされてきたのだろう。そのうちいかにも広告と知られないようにして、さりげなく商品を宣伝するといった手法がもてはやされて問題になったりもしたっけ。
ふしぎなもので、売りたいもののこととか、買わせようと作文するのは、まったく得意でなかったせいもあり、書いていて少しもおもしろくない。バンバン売れて儲かりでもすれば、それはそれで承認欲求は満たされたかもしれない。しかし残念ながらそんなことはなく、どちらかといえば書きたくないことを無理して書かねば量をこなせず苦痛でしかなかった。
また話がそれてしまった。さて、日記は儲からないかというと、わたしはそう思わない。
日記は究極の個人情報である。有名無名、公開の有無を問わず、アイデアの宝庫であり無限の可能性があると思っている。とくに自己表現の手段を持っていない人は、日記で作文することをおすすめしたい。
作文で生活が整う
作文には自己表現のほかに、もう一つ大事なはたらきがある。
自分を見つめる機会になることだ。
人間はどうしたってことばで考えたり思ったりする。その変わりゆく思考を、もやもやとした行き詰まりを、作文は整理してくれる。
誰かにとってのサウナのように、作文はわたしの生活を整えてくれている。
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