ついこの間まで、ひとりでいるのが平気だと思ってた。
めんどくさい人間関係で疲れるより、寂しさを我慢する方が断然ラクだと信じてた。
お金さえあれば、気楽な暮らしが実現できるとも。
そんな自分の考えは、ずいぶん浅はかだったと思う。
どんなにお金があっても、人はひとりでは生きられない。
そんなあたりまえのことがようやく身に染みてわかるようになった。
家族ごと孤立するリスクを考える
一般的な家族がいて、何ごともなく過ごしていると、そのありがたみや負担を感じることがない。
保護者を持たない子どもたちが養護施設から一般社会に出たときの過酷さや、身寄りのない人の困窮は、想像を絶するという。
一方、家族がいても、失業、病気や障害、高齢介護などの重い負担に苦しめられることも少なくない。
わたしも子どもの不登校や発達障害で、一時期親子でひきこもり状態になった。
実家の母は、認知症で要介護の父にできるだけお金がかからないように、自宅介護でがんばっている。なぜなら母は、自分の介護が将来子どもたちの負担にならないように、少しでも多くお金を残しておきたいからだという。理由が何とも切ない。
家族のピンチは家族で何とかしなければいけないという風潮は根強い。実際支える家族がいるのといないのとではずいぶん違う。
でも、家族が支えるにも限界がある。とはいえ、なかなか外部に助けを求められないのが現状。
うちは不登校だった子どもがたまたま高熱を出し、救急で搬送された病院の小児科の先生やスクールカウンセラーの先生を通じたサポートで、たまたま孤立から救われた。
家族ごと、社会から孤立してしまうケースは少なくないと思う。
昔のような大家族でもないし、地域のコミュニティが強いわけでもない現代、決して家族がいればだいじょうぶなわけじゃないんですよね。
お金はあるにこしたことはないし、確かに経済の問題も大きい。
でも、お金があれば解決できるってわけでもない。
本当に困ったとき、家族のほかに相談できる人がいるほうが強い。
人間関係こそセーフティネット
きれいごとじゃありません。
人を救うのは、やっぱり人。
人は完全じゃないし、ひどいこともするし、裏切る人もいます。
それでもやっぱり最終的に助けになるのは人なんです。
誰かひとりでも話を聞いてくれる人とめぐり会っていれば、最悪の事態は避けられたんじゃないか、と思うようなことばかり。
簡単なことじゃないことはよくわかってます。
うちなんか、たまたま、いろんな方に助けてもらっただけですから。
助けを求めたのに、救われなかったケースもありますしね。
でも、だからこそ人間関係の大事さを知って、日ごろから人間関係を築いておくことが重要だと思う。
「ひとりがいい」「ひとりで平気」なんて、とんでもない。
孤独を楽しみたいなら、なおさら人間関係を充実させないと。
自分にできる人間関係構築に努めよう
人間関係が大事だとわかっても、いきなり社交的になれるわけもなく、「じゃあ、どうすればいいの?」ってなったとき、人づきあいをとりあえず拒否するのはやめて、話しやすい人とのつき合いを大事にするところから始めてみようと思っている。
わたしは人づきあいが苦手で、友だちもほとんどいない。でも、50歳ぐらいになると、そういう人も少なくないと聞いて少しだけ安心している。
そういう人こそ、人づきあいをあきらめたり避けたりしないで、今からでも大事にするように努めたほうがいいのではないかしら。
努めると言っても、誰でもいいから友だちになろうと励むわけでもないし、自分を助けてくれそうな力のある人と知り合いになろうとがんばるわけでもない。
だいたいそんなことができるのだったら苦労しない。
わたしにできそうなのは、ご縁を大切にするぐらいのことだ。
同じ悩みや趣味があると、仲良くなりやすいというけれど、気が合うとは限らない。
どういうわけか安心して話がしやすくて気が合う人というのがたまにいたりするけれど、そうした相性というのは、年齢とか職業とか地位とか、そういうこととはあんまり関係ない気がする。
自分が話しやすいと思う人は、誰にとっても話しやすい聞き上手な人という可能性も高い。話しやすいから自分と気が合うと思いこむのは早合点だ。
こんなふうに相性を気にするのはほどほどにしたい。
人づきあいは、気が合う人とだけすればいいというものでもないからだ。
気が合わなくてもおもしろい人はたくさんいるし、いろんな人との関係で視野が広がり、寛容な心が育つ。ひとりでは偏りがちな考えをバランスよく修正してくれるのは、こうした他者との関わりしかない。
人を悩ませるのも人なら立ち直らせるのもまた人なのだ。
人間関係は一朝一夕には築けない。だから今からコツコツ。丁寧に関わっていきたい。
同じことばっかり言ってますが……。
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