寂しくなったとき

結婚したばかりのとき

孤独をテーマにした番組をチラ見していたら、子育て中の若いお母さんが家にこもりきりで家事や育児だけしていたら、何だかひとりとり残されたような気持ちになって孤独を感じたというようなことを話していて、結婚したばかりの頃、同じような気持ちになったことがあったことを思い出した。

出産するまでは、仕事をしたいと思っていて、資格の勉強をしてみたり、今思うと何かしら焦っていた気がする。当時は、結婚退職するのがあたりまえの風潮だったし、特別な能力でもない限り、再就職もままならなかった。まして子育て中のお母さんは、パートやアルバイトをするのも難しい頃だった。

そうこうしてる間に、世の中すっかり変わってしまったけれど。

子どもが不登校になったとき

次にわたしが孤独を感じたのは、子どもが不登校になったときだった。

当然、誰にも相談できなかった。というより、誰にも会って話をしたくなかったのだ。孤立無援になったと思った。

誰かに話せば、きっとわたしが悪いと言われるに決まってる。それが受け入れられなくて、ずいぶん長いことひきこもってしまった。

どうしてそんなに自分が責められることを恐れたかというと、わたし自身、不登校に対する偏見があったからである。

自分たちでどうにかしなければならないという思いが強かった。そうしなければならないものだと思っていたのだ。

その後、子どもが発達障害の診断を受けたことをきっかけに、わたしたち家族の価値観はめまぐるしく更新することになった。

寂しいときってどんなとき?

父が亡くなって母がひとりになって、わたしも今の家族といつまでもいっしょに暮せないときがいつか来ることを考えるようになった。おとなりのご夫婦が突然ほぼ同時に亡くなって、とうとう家が売られることになったと聞いたとき、いよいよ今の暮らしの終わりを意識するようになった。

いずれひとりぼっちにならないとも限らない。家族に介護で負担をかけるようになるかもしれないし、介護するようになるかもしれない。経済的な苦労は避けられなさそうだ。

ときどき不安になるけれど、以前のようにふしぎと寂しいとは思わない。誰でもいつかは死ぬというあたりまえのことを受け入れるようになったからだろうか。

誰かに何かを期待して、それが満たされないとき、もしかしたら寂しくなるのかな。ぜったいひとりになりたくないとか、病気になるのがコワいとか、家賃が払えなくなったらどうしようとか、人生にはいろいろ嫌なことがある。若い頃は、そういうことを何が何でも避けたいと思ってがんばっていた気がする。どうにかすれば避けられると思っていたフシもある。そういう意味で、当時は今よりコワイモノだらけだった。

ところがどんなにがんばっても思うようにいかない、どうしようもないときがある。ふだんは考えないようにしていた嫌なことを考えざるを得なくなったとき、寂しくなるかもしれない。

そんなふうに寂しくなって、孤独を感じることはめずらしいことではない。ただ、それが耐えられないくらい苦痛で深刻になってしまうことがある。

世の中はどうにもならないもどかしいことだらけ。だからといって、くさってしまうのもつまらない。

ではどうやって元気を出せばいいのかと考えてみたとき、自分がコントロールできることは、思っているほど多くないということを冷静に受けとめることだと気づいた。

あきらめほどほど、ときどき希望くらいがちょうどいい。

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