『服を捨てると幸せが見つかる』という本にこんな一文があります。
自分の買おうとしているものが、見栄なのか? 目的なのか? そしてそれは必要なのか? そう自分に問いかけることで、段々と自分が磨かれてゆくのです。
見栄っ張りでも何でもないと思っていたわたしですが、なんか考えてしまいました。
せこい見栄が「小さな暮らし」の邪魔をする
わたしは身の丈に合った小さな暮らしをしたいと思ってます。
バブル期に育ったわたしは、身に余る生活があたりまえだと思い込み、長年四苦八苦してきました。やっとその暮らしを終わらせないといけない! と思うようになったんです。
ところが「何となく質素倹約で何となくシンプルで何となくすっきりできたらいいな」という程度では、とても身の丈まで小さくできない。
何かというと「貧乏臭く見えないようにしたい」「お金に困ってるように思われたくない」といった見栄がちらちら顔を出すからです。
この期に及んでなお、よくわからない世間体とか世間並と比較しているんですね。
見栄を張っても不満は解決しない
見栄は欲です。欲にはきりがないから頑張って見栄を張ったところでしんどいだけなんですよね。せいぜい一瞬気持ちいいぐらいのもんです。
その点、身の丈生活の達成には満足感も幸福感もありそうなんですよね。
なぜなら身の丈に合った生活は、心穏やかでいられるからです。過剰な欲に引っ張られることもないし、過剰な心配もない。過剰な喜びや楽しみがない代わりに過剰な悲しみや怒りもない。
マイブームの仏教的観点で言うと、
ムダな反応で消耗したくなければ、快でも不快でもないニュートラルな状態に戻ることが基本です。これで心はラクになれるし、反応以前のクリーンな状態に戻れるのです。『これも修行のうち。実践!あらゆる悩みに「反応しない」生活』より
身の丈生活は、快でも不快でもないニュートラルな生活と思うわけです。
と、ここまでわかってるなら「やれよ」って話です。
見栄か? 目的か? 必要か? 自問自答しながら生活したいと思います。
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