終の棲家にと思って購入した中古マンションが老朽化し、ばく大な大規模修繕の費用を支払わねばならなくなった高齢者の話が放映されていた。
わたしの終の棲家はどこだろう?
ふとそんなことを考える年になった。
小さい暮らしを目ざす本当の理由
モノを減らして暮らしを小さくしようという心中には「いつでも引越しできるように」という思いがあります。
じつはわたし、阪神大震災の被災者なんですね。家や住むところにこだわるのは、正直もうこりごりなんです。いつでも身軽に移動して、どこでも快適に暮らせるのが理想なんです。
人生は、何が起こるかわかりません。今の暮らしがずっとそのまま続くなんてあり得ないんです。事件や災害にあわなくても、家族が増えたり減ったりしますし、仕事が変わることもあれば、世の中の景気に巻き込まれることなんてふつうに起こります。
そのたびにこれまでと同じ生活をひきずってこだわっていたのでは、荷物も気持ちも重くなるばかりです。
いつでもリセットできる身軽な暮らしがしたい。だからわたしは「終の棲家」がどこであろうとかまわない暮らしをめざしたい。
一人を覚悟する
いつか家族と離れて一人になるかもしれない。そんな日は来ないかもしれないけれど、突然そうなるかもしれません。先のことなんてわからないですからね。
そうでなくても自分でできないことがこれから先増えてくる。などと考えていると、だんだん不安ばかりが募ってきます。それで嫌なことは考えないようにしがちなんですよね。でも、漠然とした心配を抱えているほうがよっぽど精神衛生上悪い。
いずれは
- 一人になる日が来ること。
- 一人でできないことが増えること。
を受け入れることからはじめ、おいおいことあるごとに考えることにしました。何か備えができるというわけではないのだけれど。
ただ、自分で管理できないモノは持ちたくなくなりました。高いところにモノを置くのもやめようと思います。こんなふうにちょこっと片づけに弾みがついてます。
片づけを始めたら老後まで考えるようになった
片づけを始めた頃は、「すっきりきれいに片づけたい」、それだけだったんです。まさか「終の棲家」とか「老後」なんて考えもしませんでした。いつの間にかなんだか「老い支度」みたいになってきてしまいました。でも、老け込んでるつもりはないんですよ。むしろ残された時間を充実させたい気持ちでいっぱいなんです。
わけのわからない間に何となく終わらせてしまうより、思うようにいかなくても最期までもがきながら生きるほうがいいかなって思うんです。
片づけっていろんなことを考えさせるものですね。年長者の本からも大いに影響を受けています。時代背景や職業、経済力などそれぞれみな違います。でも、懸命に歩んできた道のりは参考になりました。それぞれのレビューはまた次の機会に書きたいと思います。
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おかしさん、こんにちは。
>いつでもリセットできる身軽な暮らし
私もこんな暮しが理想です。
だんだん体力がなくなってくるし、限りあるリソースは物ではなく、自分のために使いたいですよね。
わたしは自分で持ち運べないものはあまり所有したくない気分です。
筆子
まったく同感です!