思考をことばで表現するとき知っておきたいこと

ことばの表現に矛盾はつきもの

よく「理論的でない」とか「言ってることが矛盾している」といった批判をするけれど、そもそも言葉というのはそれほど万能ではない。

突き詰めると「私は嘘つきだ」のような堂々巡りに行き着く。結局のところことばでは「私」は嘘つきなのかどうなのか判断できない。

ことばの表現というのはその程度のものと知っておいたほうがいいかもしれない。

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ことばから連想すること

小川洋子の『バタフライ和文タイプ事務所』という小説がある。

その事務所のお得意様は医学部の大学院生たちなので、タイプ原稿には特殊な医学用語が出てくる。それから風変わりな事務所の名前の由来。そしてタイプライターたちの繊細な指の動きの描写のあと、新人の私は活字管理人の存在を知る。糜爛(びらん)の糜の活字が欠けてしまったからだ。こうして活字管理人と小さなすりガラスの窓を通した交流が始まる。やがて私は活字管理人のことが気になってしかたなくなり、ついには「膣(ちつ)」の活字の一部を自らドライバーで削り落とし、活字管理人のところに行く。

壊れた活字もさることながら、活字をなぞる指先の描写、活字管理人に対する妄想描写が何がどうというわけではないのだけれど、なまめかしい想像をつい膨らませてしまう作品。

『フェティッシュな官能が匂い立ってくる。さらにじっくり読み進んでいくと、活字、ひいては文字が秘めているエロスに触れているような気持になるから不思議だ』と巻末の松田哲夫氏による読みどころを見て、妙な想像をするのはわたしだけではなかったと安心した。

一方、こんな作品がある。

つむじ風、ここにあります 菓子パンの袋がそっと教えてくれる

木下龍也

北村薫は『パン屋の店先のうずまきパンの袋が囁く』という擬人法の表現と解釈した。しかし、一般的には捨てられた菓子パンの袋が風にクルクル舞っているようすをイメージさせる短歌として評価されている。

どっちも間違いではない。ことばから何を連想するかは自由なのだ。

ことばは正確さより誠実さが大事かも

ことばで思ったことや考えをあらわすのはむずかしい。

ひとつには思いや考え自体、移り変わっていくものだと思うからだ。加えてことばは矛盾を抱えている。その上表現としては自由過ぎて無限の想像を刺激するものだから、正確さに欠ける一面がある。

失言でえらいことになってる有名人が後を絶たないのを見ていると、日ごろことばを使って生きている自分もつくづく他人事ではないと思うのだ。

少なくともことばで何でも表現できるなどと考えないことだ。思いがけない失敗をしてしまう可能性を秘めている。そのことをいつも心に留めて、できるだけ誠実にことばを使いたいなあと思っている。

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