そういえば聖書には、借金をチャラにする掟があると記されている。
日本も江戸時代、大晦日に清算できなかった借金は、新年に持ち越されないというのを落語で知った。
かつてキリスト教は利子を禁じていたし、イスラム教はいまだに表面的には利子の徴収が禁止されているという。
「高利貸し」は卑しい職業だったのだ。
だから借金は返さなくていい、などというわけではありませんよ。
今の市場社会は借金しないと回らない仕組みになっている。だからむしろ借金歓迎なんですね。そうやってすべての人が依存し合ってる。
だから借金は、爆発を防ぐガス抜きみたいに、どこかの時点でチャラにしないと社会全体が破綻してしまうとか。
わたしたちの生きてる世界はそういう物騒なところらしい。
借金してまで必要?
市場社会はモノが売れないと回りません。
ヤニス・バルファキスは、ショッピングモールがすべての人の心をあらゆる手段を使って麻痺させ、自発性も創造性も腐敗させ、欲望を植え付け、必要のない買い物に誘導している。そう考えると嫌悪を感じざるを得ないという。
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でもそのショッピングモールに経営者・労働者・消費者・債権者・消費者など、あらゆる人が関わって生活を営んでいるわけで、単純に誰が悪いと言えるようなことではないんですよね。
ただそういう不完全な仕組みの中で暮らしているってことを自覚することは大事ではないかと思う。
気軽に借金できるからって、身の丈に合わない買い物をしてまで経済に貢献することはない。
無駄遣いに誘導されてないか、疑うくらいがちょうどいいかもしれない。
お金で買う生活の質は幻想かもよ
経済の仕組みを知れば知るほど、低所得にあえぐのも、競争に勝ち続けようと躍起になるのも、何だか不毛だなぁ、と思う。
お金がたくさんなくても、何かの拍子に働けなくなっても、それでもどうにか食べていけるというのが本当の豊かさではないかしら。
で、それはやっぱりシンプルに、ただの助け合いによるものでしか実現しないのではなかろうか。
甘いとか、非現実的とか言われそうだけど、人間は言うほど合理的にできてない。
実際働きたくない人とか働けない人とか、そういうのを一切許さないでいるから、結局みんなしんどくなって、誰も喜べないところに追い詰められてる状況にあるような。
アリの社会にも、何にもしない働きアリが必ず一定数いるそうだし。
「一億総活躍」っていう風潮、戦時中みたいに思い込まされてるだけかもよ。
こういう世の中の価値観はどんどん変わるもんだしね。
もちろんお金儲けも競争も、がんばりたい人はがんばればいい。それはそれで楽しいこともあるだろうし。
お金儲けして、人より贅沢な暮らしを見せつけて楽しむのもまたよろし。
でも、そうしない人もそれなりに前向きに生きていける環境があるとなおよろし。
そのほうが、みんな病んで「そして誰もいなくなった」なんてことが避けられるし、独創的な活躍をする多様な人材が育まれそう。
これからはお金より人のほうがますます大事になってくることだしね。
お金を稼いでお金を使って生活の質を上げることに縛られないで、今ある資源で生活の質を最大化する方法も模索していけたらいいな。
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