わたしは定期的に将来や老後、お金などの不安で憂鬱になります。
ところがしばらくすると、厳しい状況は何にも変わらないのに、どうにか楽観できるところまで浮上するんです。
それにはちょっとしたコツがあります。
「縁起でもない」ことを考える。
わたしの子どもは発達障害で、一時強迫神経症のような症状で苦労したことがありました。
- 車にぶつかるのではないか。
- 盗んでしまうのではないか。
- モノをなくしたり落としたりするのではないか。
などと心配になって、眠れなくなったり身動きできなくなるんです。
心配になる人に「心配しなくてだいじょうぶ」なんて言っても意味がありません。
心配しているようなことにならないように細心の注意を払うというのもほとんど役に立ちません。
どうするかというと、心配している事態を具体的にありありと想像するんです。
認知療法の一つなんですね。
わたしもこれにならい、不安や心配になったときは、あえて最悪の状況を想像するんです。
たとえば、将来年とって働けなくなって病気になってお金がなくなって頼る人もいない……。
みたいな感じ。
できることがわかってくる
ただし最悪死ねばいい、と思うのは考えていることになりません。これは思考停止なのでルール違反。というか、こうなったら危険。
最悪の状況でできることを考えます。
- 大家さんに事情を話す。
- 市営住宅に申し込む。
- 市役所に相談する。
- 支援団体を探して相談する。
どうしようもなくなったら、誰かに助けを求めないといけないってことがわかります。
どこの誰にどの段階で助けを求めたらいいか、いろいろ調べながら考えるんです。
不安と言いながら、ネットで検索したり本を読んだりと調べている姿は、傍から見ればのんきなもんです。そんなことを客観的にふと思うのも悪くない兆しです。そうこうしているうちに、同じような苦難を乗り越えた人たちの話も入るようになります。そこまでの状況に至らないためにできることを学べることも少なくありません。
本気で考えたり調べたりしていると、うちにいながらでも何かしらの情報が集まってくるものなんですね。ネット社会万歳。
不安になる嫌なことはみな想定外で、ふつうは誰もわざわざ考えたりしない。そんな事態にならないことを何となく願うだけで、実際は何の対策もできてないことがほとんどだと思うのです。
不安な時、具体的な相談窓口を一つ知っておくだけで、馬鹿にできないぐらい気持ちがラクになることがあるなんてことも当然知らない。
「縁起でもない」と言って、嫌なことは考えないほうがいいみたいな考えもあるけれど、嫌なことは考えないようにしようと思ってできることではない。生きていれば心配や不安は尽きないし、考えないようにしようと思えば思うほどふつふつと湧き出てきて、いつの間にやらずんと重くのしかかってくるのが心配事というものなのです。
わたしの場合、そんなときはとことん向き合ってしまったほうが元気が取り戻せるみたいです。
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