最近巷で話題の「マインドフルネス」について調べていたら、瞑想から仏教にたどり着き、今、仏教にはまってます。
仏教って何?
仏教は宗教の一つ。お寺、葬式、お経、般若心経、ブッダ……知ってるのはこれぐらい。
日本となじみがあると言われているけれど、案外知らない。
写経なら何度かした。
漢字ばかりが連なっている「般若心経」は見聞きしたことがある。
訳を読んでもよくわからなかった。
瞑想は実況中継
瞑想はおもしろい。
自分の心を実況中継するという段階がある。
次々浮かんでくることを「わたしは『めんどくさいなぁ』と思っている。」といった具合に客観的に実況中継するのだ。自分を突き放す感覚を覚えながら、浮かんでくることをどんどん処理する。
処理と言っても解決していくわけじゃない。ただ「後で考えよう。」と先送りするだけ。
そんなんでいいの? って思うんだけど、あれこれ浮かんでくるような思い悩みなどその程度のもの、ということらしい。
無常を知るとラクになる。
昔から「無常」という言葉は知っていたのだけれど、最近この「無常」という言葉がひどく心に響く。
人々は「わがものである」と執著した物のために悲しむ。
(自己の)所有しているものは常住ではないからである。
この世のものはただ変滅するものである、……
50歳を過ぎてみると、変わらなかったものなんてほとんどなかったなぁ、と実感できる。
以前は「すべてのものは変わりゆき、努力や忍耐はむなしい」などと説かれても「努力や忍耐をしたって無駄だからやめとけ」って言われてるようで納得できなかった。
だけど今は「自分が持っていると思っているものは、じつは自分のものではない。いつ失われるかわからないし、死んだら確実に失う。だからそういうもののために苦しまなくてもいいんだよ。」と言ってくれていたんだなぁ、とシンプルに受け取れるようになった。
がんばって働いてお金を貯めたり、ほしいものを買ったりするのは楽しい。だけど手に入れた瞬間からものは古くなり、仕事では苦労し、貯めたお金が減る悲しみを味わう。こうしてたえず変わりゆくのがふつうのことなのだ。
そう思うとなんだかふっと力が抜けてラクになる。疲れてるのかな。
ブッダの言葉
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