『貧乏入門』という本を読んだ。
小池龍之介というお坊さんの本です。「幸福になるお金の使い方」という副題に惹かれたからです。
やせ我慢は不幸
ほんとはもっとお金が欲しいのに、なくても平気な素振りをして、欲望に無理にフタをするのは不幸だとあります。
仏教的には欲望そのものをなくす方向で修行するんですが、人間そう簡単に欲から逃れられるものじゃありません。
わたしもお金がないと思われるのは恥ずかしいので、お金があるかのように見せたい、と思うことがしょっちゅうあります。
やせ我慢しているつもりなんかなくて、いたって真面目に本気なんです。
内心は「お金が稼げない」コンプレックスも抱えています。
「お金儲けにエネルギーを傾ける人も、お金が欲しいのに欲しくないふりをしている人も同じ」という指摘にはドキッとしました。
わたしって典型的にお金に縛られてるってことを思い知りました。
全財産を失うリスク
全財産までいかなくても「失うかもしれない」と考えたことはあるでしょうか?
わたしは阪神淡路大震災でローン購入したマンションが半壊になった経験があります。
それまでは、うちが壊れるなんて夢にも思いませんでしたし、収入が減る心配もしたことがなかったんです。
永遠に続くことなんてないのに、失うかもしれないリスクが想像できなかったんですね。
実際あれからも震災で財産を失う人は後を絶ちませんよね。
いつどんなことが起こってもおかしくないんですよ。
だからってそれで働く意欲をなくしたり、投げやりになっていたらそれこそ不幸です。
わたしは凡人ですから「もっとお金があったらいいなぁ」という欲が消えることはありません。
だけど持っているモノを失うショックも忘れられないんですよね。
だから失うモノは少ないほうがいいな、というのも本音なんです。
お金に縛られない自由な暮らしというと、お金が足りなくなる心配のないたくさんお金を持っている暮らしを指していることがほとんどなんですが、ほんとはお金があってもなくても自由に暮らせることなんですよね。
つまりはやせ我慢じゃない実現可能な範囲で欲を減らし、なるべく少ないモノで満ち足りる暮らしに努めるってことじゃないでしょうか。それが幸せなのかもしれません。
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